「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

「その人が自分に似ている…。」の衝撃

 

こんばんは。

 

人間関係に悩みを感じていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。

自己実現や自身の成長のために、自分を律していくことは必要ですが、そこにはどうしても他者とのかかわりが含まれてきます。

自分以外の人とどう向き合うか、どう処するかを知ることは人生を生き易くする術を学ぶこと。私たちは他者とのかかわりなしには生きていけないのですから、この部分に長けたほうがいい、もっと目を向けた方がいい、そう思います。

 

田坂広志さんの書籍『人生で起こること すべて良きこと』の学びについてお伝えしていますが、これからお話していくのは、この「他者とのかかわり」についての言及が主になっています。気づき、納得と安堵。これらをあなたにも感じていただけると思います。

 

「他者の嫌悪感」の本質は「自己嫌悪」である。我々は自分の中にある「嫌な面」を抑圧して外に出さないようにしていると、その抑圧した「嫌な面」を他人の中に見るとき、その人に対する嫌悪感が増幅されてしまう。

続けてもう一つの文章を。

「内省日記」にその人が好きになれない理由を次々と書き出してみる。特にその人の「人間としての未熟さや欠点」と思えることを、主観的な思いで構わないのでありのままに書き出してみる。ときおり、ある真実に気がつくことがある。その人が自分に似ている…。

 

実際の書籍では、後半の文章のほうが先に書かれています。

 

最後の文「その人が自分に似ている…。」まで読んだときに、ドキッとしたのを覚えています。衝撃といってもいいかもしれません。

他者は自身の投影である、といった話を初めて知ったわけではありません。以前にも、このことを主題とした書籍を読んだことがありますし、このことが言及されている書籍も手に取ってきました。その時にも気づきを感じたのだと記憶しています。でも深堀りはしませんでした。

田坂広志さんの文章を読んで「衝撃」を受けたのは、この書籍の流れの中で生じた納得感が深かったのではないか、と思います。自分が歳を重ねて経験が増えたから、ようやく理解できるようになったからかもしれません。

 

他人の中に自分の嫌な面を見る、つまり「その人が自分に似ている」と気づくことは簡単ではありません。

そもそも、嫌いな人の嫌な面を考えるだけで嫌な気分になりますよね。本当に不快だ、憎たらしい、と感情が増幅されて、その負の要素がその人自身の人格によるものだと思ってしまう。だから、実際には「自分にもそういうところがある」と何となく認識していたとしても、それをその人との共通点だとは考えされない。嫌な奴と自分を同じレベルで見ることはできないのです。

 

明日に続けます。

 

 

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