「他者の嫌悪感」は「自己嫌悪」に他ならない
こんばんは。
今日も田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学びについて続けます。
「他人の中に自分の嫌な面を見る」
このことに気づくのは簡単ではありません。仮に気づけたとしても、それを自分事として捉えることはさらに難しい。思い出すだけで腹が立つような「嫌な人」について、感情に任せて頭の中で思考を巡らせているときには、なかなかできるものではありません。
でも「自分も同じだな」と気づいたことがあった。どういうときにそう気づいたのか、そう受け入れたのか、その背景や環境の共通点は分からない、言い表せなかった。でも、「その人が自分に似ている」と感じたことがあったのは事実。
田坂広志さんの文章を読んで、これが自分だけの経験ではなく私たちすべてに通じるものであること、そしてそれが起こるメカニズムを知ったことで、大きな納得感を得たのです。
そして、「他者の嫌悪感」はまさしく「自己嫌悪」に他ならないことを強く認識しました。感じました。
そう思いたくはない。つまり「あの嫌な部分はその人の特性だ」と考えたい。でも、自分が満たされていないことを認識し、その不満が他者攻撃の大きな要因であったということ。そして、その不満は他者からもたらされたのではなく、積極的であれ消極的であれ自身が作り出したものであったこと。このことを知ったときに、自分の愚かさを感じたのです。
と同時に希望も感じられるのです。
「自分を責める代わりに他人を責めていたのだ」、「他人の問題ではなく自身の問題だったのだ」
こう気づけば、この問題を解決することができるのですから。問題は他人事ではなく自分事になった。他人は変えられないが、自分は変えられるのですから。
こうなると「自分の嫌な面を改める」方向に舵を切ることができます。自身の嫌いな部分を認識したのですから、それをなくしていくことができるのです。でも、これは強い意志を伴うのが実際のところ。長年生きてきた中で身についてしまった習性をかえるのは簡単ではありませんから。
田坂広志さんは、そんな私でもできそうな技法を示します。
「好きになれない人」を好きになるためには、心の中でただ「有り難うございます」を祈る。心の中で、その人の顔や姿を思い浮かべ、ただ「有り難うございます」と唱える。
「祈る」という技法は、ただ心を静かな状態にして起こった出来事や出会った相手に対して「有り難うございます」と心の中で唱えるだけの素朴な技法。であり、日常誰にでもできる。
「陰で感謝」をするという行を積むとし自然に「心」が強くなっていく。「誰も知らないところで感謝をする」ということが重要。仮に相手に対して「有り難い」と思えなくても、まずは心の中で「○○さん、有り難うございます」と唱えるだけでよい。
それを続けていると次第に「心」が「有り難い」という感覚を持ち始める。そして自然に「心」が強くなっていく。
明日に続けます。