「ただ唱えればよい」に救われる
こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
「ありがとう」
この言葉の大切さについては認識されている方が多いと思います。これまで本当に多くの人がこのことについて語っています。語り尽くされている、と言ってもいいかもしれません。決して現代だけの話ではなく、人類がこの世に存在してから「ありがとう」の重要性はいたるところで語られています。
自己啓発系の本を読み漁っていた時期に、実際に「ありがとう」を日常に取り入れたことがあります。いや、正確にいえば「取り入れようとした」。でも続けられなかったのです。
ただ「ありがとう」というのが簡単すぎるように感じてその効果に疑心暗鬼であったのかもしれません。実際には簡単ではなかったから続けられなかったのですが、「やっても意味がいない」と言い訳にしていたのかもしれません。
まさか田坂広志さんがこのことについて著書で言及されるとは思っていなかったのです。
田坂さんはエンジニア、科学者でもいらっしゃいます。そんな田坂さんがスピリチュアル的なことについて語っている。しかも簡単に触れるというレベルではなく、かなりの紙幅を割いて詳細にその大切さとメカニズムを説明されている。このことに驚きを感じました。そして、「ありがとう」が本物であることを確認したのでした。
そして、何よりもっとも惹きつけられたのが、「ただ唱えればよい」という簡単さ。引用した文章の中から抜粋するとすればこの2文になるでしょう。
心の中で、その人の顔や姿を思い浮かべ、ただ「有り難うございます」と唱える。
仮に相手に対して「有り難い」と思えなくても、まずは心の中で「○○さん、有り難うございます」と唱えるだけでよい。
「これであれば私にもできる!」
嫌いな人に相対して「ありがとう」を言うことは難しいし、できない。だって嫌いなんだから。
でも、ただ心の中で言えばよい。その人に会う必要も見る必要もない。これだけで人間関係が改善するのであれば本当にありがたい。
本当にこれだけでいいのか? という疑問は感じたことは否めません。でも田坂広志さんが言うのだから信用できる。やってみる価値がある。やって何も得られなくても失うものはない。
この「祈る」という技法の後に、それを踏まえたうえで、改めて「正対すること」、「起こった出来事の意味を解釈する」ことについての文章が続いていきます。
「一見すると関連が見えない対象も、実は本題に間接的に直接的に絡んでいる。本題の深い理解に必要であり、なくてはならない重要なピースが埋め込まれていく。」
私が感じる、田坂広志さんの文章の特徴の一つです。私が感じる、もう一つの氏の特徴である「何度も繰り返し同じことが述べられる」ことがくどく感じられないのは、繰り返す度に新たに重要なピースが埋め込まれていくから、だと感じます。(くどい、というのは失礼な表現かもしれませんね…。すみません。)
全ての記載が本旨に密接に絡んでいる、というのは読者としては嬉しいのですね。逆に言うとその一冊を読む過程に気を抜ける部分がないということでもありますが。
明日に続けます。