「心身一如」の理と「心」と「言葉」との関係
こんばんは。
田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』からの学び。
田坂広志さんが「有り難うございます」を唱えることについて言及するとは思っていなかった。まさかの驚きの展開に一気に引き込まれていた私。
そのことは本書では「祈る技法」と言い換えられています。
そし、その文脈の中で書かれていたのが次の文章でした。
こうした技法が有効なのは、「心身一如」だから。「心」と「言葉」との関係においても同様。「心」というものに直接働きかけることは極めて難しい。「心身一如」の理を活かし「身」を正しく整え「言葉」を正しく語ることによって「心」を整えることを行う。
その「行」を日常の習慣として何年も続けることが大切。
「心身一如」の理は「心」と「言葉」との関係についても当てはまる、と。
「心」と「身体」は一体である。このことついても多くの書籍から学んできました。そして実生活の中でも、そのことを感じる場面はありました。
私たちは、心と身体を別のものとして捉えがちです。心が実際の自分であり、身体はその付属物と考えてしまう。そこまで極端ではないとしても、身体よりも心に重きを置く。身体の存在・意義を軽んじてしまう傾向があるように感じます。
これが「心」と「言葉」の関係にも当てはまる。私たちは、言葉よりも心に重きを置く、言葉の存在・意義を軽んじてしまう。
私たちは言葉に無頓着なきらいがある。言葉は心と別物であるという驕り。
「言葉ではあんな酷いことを言ってしまったけど、実際に心の中で思っていることは違う」という言い訳。思い当たる節がありませんか?恥ずかしながら私には大いにありました…。だからこそ、この文章が言葉に刺さったのかもしれません。
「言葉」と「心」は一体なのである。このことを思い知ると、もう言葉を乱暴に使うことはできなくなる。
嬉しいことに、これは「言葉を変えれば心が変わる」ということも意味している。
田坂広志さんがおっしゃるように、「心」に直接働きかけることは難しい。心をあるがままにコントロールするのは至難の業。それができれば、いつでも幸せな気分でいられるでしょう。
心に比べれば言葉は容易にコントロールできる。意識して言葉を使うことは誰にでもできる。でも油断していると継続して言葉を正しく語ることはできない。忙しさやネガティブな感情に苛まれると、言葉を意識するのが難しくなる。だからこそ、それが習慣になるまで続けることが必要となる。田坂さんがおっしゃるように、日常の習慣として何年も続けることが大切なのです。
「もっと若いころから言葉に注意しておけばよかった」。
田坂さんが言う「何年も」という言葉に、そうネガティブな感覚を抱いたことも事実です。でも「人生で今が一番若い日」という言葉があるように、今からでも遅くはありません。
この理をしっかりと認識したうえで、真剣に愚直に続ければ、より早く習慣化できるかもしれません。何よりも、このことを知りながら実践を怠るということはできませんからね。せっかくの田坂さんの言葉を台無しにしたくはありません。
明日に続けます。