「自分勝手な出会い」を求めていたことに気づく
こんばんは。
「有り難う」という感謝の言葉。
それは人との縁を見つめることにもつながります。
田坂広志さんの『人生で起こること すべて良きこと』から引用します。
その人との「縁」を見つめると人間関係が好転していく。必ずするべきことが、その相手との「出会い」に「正対」すること。「人生で出会う人すべてに深い縁がある」という一言を心に思い定め相手を見つめること。
我々は「幸福な出会い」だけによって人間として成長しているわけではない。「不幸な出会い」と思える出会いを通じても、人間と人生について深く学び成長している。
この人と出会ったのも何かの深い縁。この縁にも必ず何かの深い意味がある。自分の成長にとって必ず深い意味がある。
幸運は人によってもたらされる。転機は人によってもたらされる。
このことはよく聞きますよね。一種の格言ともいえるかもしれません。そして実際に私はそのことを体験してきましたし、このことを真実だと感じています。
でも、自分のことを浅はかだと感じたのは、常に「いい出会い」「幸運な出会い」を求めてきたこと。このことを実感してしまいました。
言い換えると「自分勝手な出会い」を求めていた。自分に都合の良い、自分だけ幸せになればよい、という出会いを求めていた。
さらには、自分からは何も働きかけずに、そういう人がいつか現れるのを期待してきた面もある。これでは何も起こらないのです。
一方で「嫌な人」との出会いは頻繁にあるのですw 求めていないのに。
でも、そういう人と関わることを避けてきた。もしくは、自分の考えばかり押し付けて、その人の気持ちは考えてこなかった。
でも、「そういう人との出会いを通じて自分を成長させることができる」と考えれば、その嫌な人が貴重な存在であることになります。
その出会いに正対することで、人間と人生についての学びを得る、ひいては、自分が成長できる。こう考えると「なんと数多くの貴重な出会いを無駄にしてきたのだろう!」と思わずにいられません。せっかくの成長の機会を自ら棒に振ってきたのですから。
でも、このことに気づいてよかった。これからの人生、日々の生活において、いろいろな人と関わっていくのは間違いありません。その中で「嫌な人」や「不幸な出会い」に遭遇することもあるでしょう。そうしたら、その機会を活かすことができるのです。そういう出会いが与えられたことをむしろラッキーと感じられるかもしれない。
そう感じるように躾けよう!
そうすれば自分はもっと成長できるのだから!
これまでの思考が180度転換した瞬間でした。
明日に続けます。