「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

責任があるからこそ○○になれる

 

こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。

きみまろさんの『しょせん幸せなんて自己申告』の「目標について」の章からの文章。

 

改めて記載します。

 ・自由に生きるということは、同時に、自分の人生の責任を我が身に引き受けること。だからこそ誰よりも真剣になるし、得られる喜びも人一倍大きなものになる。

 

上の二つの文の中の、一つ目の文をどう感じましたか?

 ・自由に生きるということは、同時に、自分の人生の責任を我が身に引き受けること。

自由と責任はセットである。これは至極当然のことです。

でも、「自由も制限されるけど責任も制限される」環境に長く居続けると、この当然のことを忘れてしまうんです。

そして、昨日書いたような「ある程度自由を我慢すれば、責任を負わずに飯が食える。現実的に考えたら、この状況のままのほうが得策だ」という考えを持ってしまうんです。

 

これは自分の人生を放棄しているのと同じこと。とりあえず飯は食えるかもしれないが、それでもいいのか? 妥協してもいいのか?

そうではありませんよね。

「自分の人生なのですから、自分の好きなように生きましょう。自由を手にしましょう。責任が伴いますがそれは当然のこと。それは受け入れましょう。自由を得られるんだから。」

と発破をかけられたら、一時はそう思えるかもしれません。でも、動くのが怖い。

 

そんなあなたには、二つ目の文をかみしめて欲しいと思います。

・だからこそ誰よりも真剣になるし、得られる喜びも人一倍大きなものになる。

「責任」という言葉にはネガティブな響きがありますが、必ずしもそうではない。

責任があるからこそ真剣になれる。自分で決めて行動して、その結果はすべて自分の責任として受け入れなくてはならない。そうなると「真剣」になれる。

これこそ自分の人生を生きるということ。これこそ「自由」なんですね。

そして心にとめておきたいのが「得られる喜びも人一倍大きなものになる」という文章。これは真実です。人生がもっと楽しくなるんです。自分の人生に責任を持つことで、もっと深い喜びを感じながら生きることができるんです。

 

これは「雇われる働き方」しかしてこなかった人には理解が難しいようです。

 

働く時間は生活の中で一番の比率を占める営み。最も時間をかける営みにおいて「真正面から責任を負う」ことをしてこなかった人は、この「深い喜び」が理解できないんです。体験したことがないから。

 

では、どうすれば良いのか?

もう少し視野を広げてみましょう。

 

明日に続けます。

 

 

 

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