「優れた人は決まって謙虚」は本当か?
こんばんは。
「他者への嫉妬」という醜い感情を抑える、手放す方法。
昨日は、楠木建さんが提示してくださった二つ目の方法
・もう一つ大切なのは、「自分は普通の人間だ」と思うこと。要するに謙虚であること。
について書きました。
ここから「根っから謙虚という人はいるのだろうか」ということを考えてみました。
あなたはどう感じますか?
私はよく他人から「謙虚だよね」と言われる方ではあります。自分でも、他人を尊重し、他人を立てる。このことは自身の行動指針として根づいているとは思います。
でも正直なところ、心底「自分は普通の人間だ」と思えているかというと、そうではありません。心のどこかで「自分には特別な部分がある」と思っている。いや、思いたい、というのが正確かもしれません。
同時に、世の大多数の人も同じような性向ではなのかな~とも思います。基本的には「謙虚」だけど、「傲慢」な部分も隠し持っている。それでいいのかもしれませんね。
基本「いい人」だけど、譲れない部分はしっかりと持っている、と言い換えられるかもしれません。こう書き換えると、こういう人の方がいいような気もします。
謙虚についての、楠木建さんの次の文章を見てみましょう。
・世の中の優れた大人は決まって謙虚。「人は人、自分は自分」という感覚をもっている。
「優れた人は決まって謙虚」と断定されています。
楠木建さんが断定されるくらいなので、「これは真実なんだろうな」と思いつつも、「実際のところ本当にそうなのか?」と100%は納得できない自分がいました。
実際の社会、特にビジネスシーンにおいては、決して謙虚とは思えない人が高いポジションにいたりしませんか。
自分勝手で、押しの強い人が偉くなっていたりする。いや、偉い人ほどそういう傾向があるとも言える。中には、自分が偉くなるために、他人を蹴落としたり、陥れたりすることを何とも思わない人もいる。
池井戸潤さん原作のドラマ『半沢直樹』では、会社での出世競争に「謙虚」という文字がない、ということが示されていますしね。
まあ、このドラマでは誇張されているとはいえ、日本の会社の多くはこんな感じではないでしょうか、程度の差はあるとしても。
だからこそ、このドラマが支持されたのでしょう。
この意味では、必ずしもすべての「優れた人」が謙虚とはいえないのではないか、そう感じました。
あなたはどう思いますか?
でも、この考え方には「誤り」がありますよね。
何が間違っているかお分かりになりますでしょうか?
明日に続けます。