身の回りのことがすべて自分の思い通りになると思っている
こんばんは。
「イラっとする」という言葉が今の時代を象徴している。
それは「大人の幼児化」。
僕の考える「大人」は、「イラっとする」というような言葉は使いません。多分に僕の偏見かもしれませんが、「イラっとする」という言葉には底抜けの幼児性を感じて、何かこう、イラっとするんですね(←おっと失礼)。
この文章に続いて、楠木建さんは「幼児性」について定義されます。
こうやってしっかり定義されるのが素晴らしい。同じ言葉でも人によって感じる意味合いは異なりますから、ここをおろそかにすると、うまく伝わらない。言葉の定義は重要だな~、と改めて感じさせられます。
僕が言う「幼児性」の中身には以下の三つがあります。
一つ目は世の中に対する基本的な認識というか構えの問題です。身の回りのことごとがすべて自分の思い通りになるものだという前提で生きている人を「子ども」と言います。物事は自分の思い通りになるべき。思い通りにならないことは「問題」であり、間違っている。これが子どもの世界認識です。
「幼児性」の中身の一つ目は、認識の違い。まず、子どもの世界観についてご説明されています。
子どもは、身の回りのことがすべて自分の思い通りになると思っている。その通りですね。
日常生活において、自分の思い通りにならなくて泣きわめている小さなお子さんをよく見かけることがあります。これは、そのお子さんが悪いわけではありません。そういう世界観なのですからそれは必然なんですよね。思い通りにならないことは、子どもにとっては「問題」。問題というだけでなく、それが間違いであると心の底から思っている。だから、何のためらいもなく、その間違いを正そうとする。つまり、親が、他人が「自分の思い通り」になるように働きかけなければならない。何の悪気もなくそう思っている。それが子どもなんです。
だれもが、こういう時期を過ごしているので、「大人」はそれをとがめない。そういうものだと思って、やり過ごす。もしくは、その光景を微笑ましく思う。
でも、そんな子どもを受け入れられない大人もいます。つまり、身体的には「大人」に見えるけれども、心の中は「子ども」のままの人。そういう人は「自分の思い通り」にならないことに耐えられないので、「ウルさい!」とか「黙れ!」とか子どもに対して怒鳴ってしまう。
躾としてそういう言動をするのは構わないし、必要なことです。でも、自分の心の赴くままに感情をむき出しにしているのであれば、それは大問題。
子どもとの接し方で自分が子どもかどうかが分かってしまう。自分も子どもだったら、子ども同士で張り合うことになるんですね。
あなたは大丈夫でしょうかw
明日は楠木建さんの「大人」の定義を見ていきます。