「イラっとする」が象徴しているものとは?
こんばんは。
大手メーカーに勤める課長の、部下への対処法についての相談
仕事ができるとは言えない部下が社会人大学院に通い始めて、残業をしなくなる。ちょっと仕事を頼むと「すみません、大学院があるんで」と断られてしまう。仕事ができるとは言えない部下がなぜマネジメントをわざわざ外に習いにいくのか?そのこと自体もややイラっとするうえに戦力にならない事実が追い打ちをかけます。私はどのように対処したらいいでしょうか?
そして、楠木建さんのご回答。
部下が業務時間外の私生活で何をしようと、上司が何か言う筋合いのものではない。
あなたが「仕事ができない」と思う部下を育て、戦力にする。それが上司であるあなたの仕事。
お見事です。スカッとしますね!
そして、これに続く余談がこれまた素晴らしいんです。「子ども」と「大人」について論を展開されるのですが、うならされてしまいました。
楠木建さんは、相談者のある言葉に、相談者の幼児性を感じ取ります。
どの言葉だかお分かりになりましたか?
それは
「イラっとする」
という表現。
「イラっとする」という表現を使うようになったのは、そう昔のことではありません。昔は「ムカつく」でした。最近はマイルド化して「イラっとする」。僕はこの「イラっとする」が、今の時代をヒジョーに悪い意味で象徴するキーワードではないかと思っています。
「ムカつく」という表現はあまり使わなくなりましたね。廃れてしまったとまでは言えませんが「スカッとする」がとってかわった感はありますね。「ムカつく」を多用していた世代も「イラっとする」を好んで使っているように感じます。確かにマイルドな気がしますから、コンプライアンスが年々厳しくなっている今の時代にはマッチしているのでしょう。
この「イラっとする」が今の時代を象徴している、と楠木建さんは仰っています。それも、非常に悪い意味で。「ヒジョーに」とカタカナで表記されていました。
ヒジョーに悪い意味で現代を象徴している。
楠木建さんのご説明を見ていきましょう。
何を象徴しているかというと「大人の幼児化」です。
僕の考える「大人」は、「イラっとする」というような言葉は使いません。多分に僕の偏見かもしれませんが、「イラっとする」という言葉には底抜けの幼児性を感じて、何かこう、イラっとするんですね(←おっと失礼)。
内容に入る前に、まずこの文章の面白さに参ってしまいますよね。
「イラっとする」という表現を巧みに用いて、読者をさらに惹きつける。こういう文章を書ける人になりたいな~という思いが募りますね~。
明日に続けます。