他人のことに関心を持ちすぎる
こんばんは。本日も当ブログへお立ち寄りいただきありがとうございます。
昨日は、楠木建さんが定義する「幼児性」の二つ目について話しました。
本来は個々人の「好き嫌い」の問題を手前勝手に「良し悪し」にすり替えてわあわあ言う。
「手前勝手に」「わあわあ言う」人。本当に迷惑ですよね。
そんな大きな「子ども」に対しても、あなたが本当の「大人」であれば「へー、そういう人もいるのか。世の中は面白いねえ……」と受け止めることができる。
「怒るな、面白がれ」ができるかどうか。これが、大人であるかどうかが試される試金石なのです。
そして、今日は三つ目をお伝えします。
こちらも「「するどい!」そして「そうなんだよな~」と感心させられました。
このことと関連しますが、幼児性の三つ目は、他人のことに関心を持ちすぎるということです。繰り返しますが、仕事の部下としてその人のことを気にかけるのは上司として当然のことですが、仕事を離れればみなそれぞれに独立した人間です。社会人大学に行くなどという私生活が気に入らないなんて、他人のことを気にしすぎている。
相談者の方はぐうの音も出ないでしょう。相談することで助けを得るどころか、少なくとも同情を得るどころか(おそらく相談者のかたは後者を望んでいたんでしょうが)、自身の至らない部分をものの見事に言い当てられてしまっているのですから。
でも、楠木建さんは、ここでトーンを弱めるようなことはしません。さらに追い打ちをかけていきますので、こうご期待!
その追撃(?)の前に、この文章をもっと深く読んでいきましょう。
他人に関心を持つのは悪くないですよね。よく「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」といったりします。関心を持っているのは、その人と向き合おうとしている証ですからね。しかも上司たる者、部下のことを気にかけるべき。部下に無関心であるよりよっぽどいいですよね。
問題なのは、他人を気にし「過ぎる」こと。他人の私生活にまで突っ込んで「気に食わない」という感情を持つ、嫌悪感を抱く。これは越権行為です。
では、なぜ部下の私生活まで気になってしまうのでしょうか。
部下のことを気にかけるのは悪くありません。度が過ぎるのがいけないんですね。なぜ過度に気になってしまうのでしょうか?
楠木建さんは、この理由を明快に披露してくださいます。
スカッとすること間違いありませんので、どうぞご期待ください。
明日に続けます。