底意地の悪い見出しのオンパレード
こんばんは。
楠木建さんが指摘する、幼児性の三つ目についてご紹介しています。
幼児性の三つ目は、他人のことに関心を持ちすぎるということです。
なぜそうなるのかと言えば、本当にその人が気になるというよりも、自分の中に何かの不満や不足感があって、その埋め合わせという面が大きいのではないかと思います。
自分の仕事や生活に何かさみしさや不満、鬱憤、鬱屈、屈託があっていま一つ充実していない。そういう人は他人の欠点や問題、もっと言えば「不幸」を見て心の安らぎを得るというか、鬱憤晴らしをするところがあります。
これは今に始まったことではなく、昔から人間なんてそんなものです。
「昔から」人間なんてそんなもの。古今東西、人間は他人の不幸を見て心の安らぎを得ていた。
ここで楠木建さんが挙げた例は、私にとっては肩透かしでしたw
たとえば、『週刊新潮』。
まさか、ここで週刊新潮がその例として上がるとは思っていませんでしたw
もっと歴史的イベントか何かが紹介されるのかと思っていましたから。
でも、逆にこれがいいのかもしれません。身近な存在であるからこそ、実感が湧きやすいという面はありますからね。
長い歴史がある週刊誌ですが、電車のつり広告をみると底意地の悪い見出しのオンパレード。誌面の大半が妬み・嫉み・恨み・辛みで埋め尽くされている。
そのとおりですよね~。
電車の中吊り広告でつい見てしまうのが、『週刊新潮』と『週刊文春』。
楠木建さんがおっしゃるように「底意地の悪い」見出しが所狭しと広告を覆っています。よくもまあ、こんなにも芸能人や有名人をおとしめるネタがあるものだな~、と感心してしまうほどです。
あなたはどうでしょうか? 電車の中で中吊り広告は見ますか? そして新潮と文春に広告に目を奪われたりしていませんか?
中吊り広告ではなく、最近は「文春砲」という言葉の方が馴染み深いでしょうか。『週刊文春』を発刊している文藝春秋社も歴史ある出版社ですが、ゴシップを暴く行為の代名詞のようになっているのは少し悲しい気もします。
私の場合は、この手のゴシップに興味を持つことは少ないです。とはいえ、乗っている車両にこれらの中吊り広告があるとつい見てしまいますw
「えっー、そうなの!」
「へ~、こんなこともあるのか」
「これはずるいぞ!」
「こんなに苦労している人がいるんだな。それに比べれば自分はまだましなほうだ」
ここに挙げたのは、私がいだく特徴的な感想ですw
どういう考えが、思いが頭に浮かぶかは、その時の自身の感情によってきます。
明日に続けます。