幼児性の最たるもの
こんばんは。
楠木建さんが指摘する「幼児性」の三つ目について話を続けてきました。
このご指摘にも思わず唸りました。「その通りだ」と膝を打ったのです。楠木建さんには唸らされまくりですw
他人に関心を持つこと自体は悪いことではありませんよね。
例えば、他人のことを心の底から心配して、いろいろとアドバイスをしてあげたくなる。このこと自体は善意からきているのでしょう。
ですが、その人が気になる理由は、果たして本当に他人への「思いやり」の心なのだろうか?
それよりも、「自分の中に不満や不足感を埋め合わせる」という動機があるのではないか。今回も私自身に対して言われているような気がしました(笑)。
「自分の生活が充足していない。」
こんな状況にいるときに、その鬱積した感情に心を揺さぶれたくない時に、簡単な解決策が一つある。
それが「自分より不幸な他人を見ること」。あまり認めたくはありませんが、私たちはこのような性質を持っているんです。
自分の心の安らぎを得るために、他人の不幸を探してしまう。
「他人の不幸は蜜の味」という表現があるように、人にはこういう性質がある。
ここに「幼児性の最たるものがある」と楠木建さんは明言されています。
自分が満たされていないのなら、その原因を見つけ出し改善していく。そのために自分と向き合うというのが「大人」です。
それなのに、他人の欠点や問題を探し出して、それらを自分と比較する。そうすることで安堵を感じる、という行動をとってしまう。まさにこれは「子ども」の行動ですね。
こう考えると、今の社会は本当に多くの「子ども」で満ちているように感じます。
楠木建さんの幼児性に関する指摘は本当に見事でした。
もう一度列挙しておきましょう。
1.身の回りのことごとがすべて自分の思い通りになるものだという前提で生きている
2. 本来は個々人の「好き嫌い」の問題を手前勝手に「良し悪し」にすり替えてわあわあ言う
3. 他人のことに関心を持ちすぎる
自分の至らなさを恥じるとともに、今後の行動指針を得られたことが収穫でした。
言語化された真因を自身が十分に認識できたのは本当によかった。そう思います。
少しでも「大人」になれるように、日々心掛けていきたいと思いますw