日本のアーティストの曲でも同じです
それは
「歌詞をわかっていなかった」
という現実でした。
お気に入りの曲というのは、その歌詞よりも、リズムや歌声に惹かれる度合いが大きい。歌詞は「なんとなく」のレベルでわかっていた「つもり」ということが多いですね。
そして「わかっていなかった」という現実に加えて、もう一つの自分を認識することになります。
それは
「真剣に聞いてもわからない」
という、もう一つの現実。
だから何度でも繰り返し聞きます。10回くらい真剣に聞く。
そうすることで、
「もしかしたら、○○〇といっているのではないか?」
と類推できるようになり、
いずれは
「あ、〇○○と言っている!」
という確信を持てる瞬間がやってくる。
何度も何度も繰り返し真剣に聞くことで、類推力を鍛えて、確信の喜びを手にいれる。
これがステップ1で得たい、得られるものです。
10回くらい繰り返し聞いていると、こういう体験を得ることができるのですが、すべての歌詞を聞き取れることはないでしょう。
昨日も書きましたが、歌というのは、ふだんの会話とは異なる独特のリズムの中で言葉が発せられているものです。
ですから、抑揚や文脈から単語を類推するのが難しい。
その状態で何度繰り返し聞いたとしても「分からないものは分からない」という部分は、どうしても残ってしまいます。
これは日本語の曲でも同じです。
「日本語の曲なのに分からないことなんてないでしょ」
と思うかもしれません。
確かに、歌詞を聞き取れないという曲はそう多くないかもしれません。でも、少なからず「よく聞き取れない部分がある」という曲はあると思います。
アーティストによるところもあります。クセがあって何を発しているのか分かりにくいというアーティストはいますよね。(そのクセが魅力なのですが)
あとは、日本語のほうが、聞き取れなくても「おそらくこう言っているのだろう」というのが類推しやすい、という側面があるので、自分の解釈を過信してしまう、という側面もあります。
歌詞を読んで「え! こういう言葉を歌っていたんだ!」と驚いた体験はないでしょうか。
母国語の日本語の曲でもこんなことがあるのですから、英語の曲で理解できない部分がより多くなるのは当然のこと。
このステップ1でショックを受けたり、また、このステップに長時間固執するのはやめましょう。
明日に続けます。