「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

この時期に定番の焼酎お湯割り レモン果汁がアクセントとしてかかせません

こんばんは。

本日もこのブログにご訪問いただきまして誠にありがとうございます。

 

三連休明けの本日をいかがお過ごしになりましたでしょうか。

私の住む地域では、今日も晴天に恵まれました。洗濯物をカラカラに干すことができ、気分もすっきりしました。

 

年初から昨日まで、「記録」についてのお話を続けてきました。

「新体験記録」、「その日の気づき記録」ともお勧めの記録習慣です。是非一度試していただきたいと思います。

 

今日は気分転換(?)に、少し軽めの話題として、今年初のお酒についての話をさせていだきます。

 

この寒い時期は、焼酎のお湯割りが恋しくなりませんか?

ビール党の私は、最初の一杯目はビールというポリシーは変えませんが、二杯目以降は焼酎のお湯割りに移行するのが定番の流れです。

ちなみに、これは家飲みに限った話です。外飲みではビールを連投します(笑)。

 

身体が温まり、しかも飲みやすい。私の周囲にも焼酎のお湯割りを冬の定番としている人が多いです。

 

この寒い時期にはお湯割りを無限に飲み続けられそうにも感じるのですが、さすがに飽きを感じるときもありませんか?

 

その時に加えるアクセントとしては、梅干しが定番でしょうか。

私も外飲みで焼酎を飲むときには梅干しを追加で頼むことがあります。

 

家飲みで加えるアクセントとして私がお勧めしたいのは、「レモン果汁」です。

 

梅干しやレモンそのものを追加してもいいのですが、横着な私はその準備をすることにすら面倒を感じてしまいます。それどころか梅干しやレモンを家に常備していないというありさまです…。

 

このようにずぼらな方に最も適しているのが「レモン果汁」だと思います。

私のお気に入りは、サッポロポッカの瓶入りレモン果汁です。デルモンテの瓶入りもポピュラーですよね。

 

レモン果汁を少し加えるだけで、単調なお湯割り焼酎に爽快感が加わり、新たな飲み物として楽しみなおすことができます。(「どれだけ飲みたいんだ」という声が聞こえてきそうですが…)

 

お湯割りにレモンを加えるなんて邪道だ!と思う方もいらっしゃるかもしれません。

 

私もその意見に同意します!?

 

正確にいうと、どんな焼酎にもレモン果汁を合せるわけではありません。

お湯割りで楽しむ焼酎は、芋焼酎そば焼酎といった本格焼酎で楽しむことが多いのですが、そのような焼酎の場合は焼酎の味わいを楽しむべく何も加えないことがほとんどです。

 

ですが本格焼酎はお値段が張るのが悩みどころです。できる限りやすく大量にお酒を飲みたいという飲兵衛にとっては、もっとリーズナブルな甲類焼酎や甲乙混種焼酎が選択肢に入ってきますよね。

 

これらの焼酎にレモン果汁を加えることをお勧めします。

 

明日に続けます。

 

「好き嫌い」を変えるのではなく、それを認識しどう活かすか 「その日の気づき記録」で自分の幅を広げる、人生を生き易くする 

こんばんは。

本日もこのブログにお越しいただきましてありがとうございます。

 

三連休が終わりを迎えようとしていますね。本日はいかがお過ごしになりましたでしょうか?

今日は久しぶりに晴天に恵まれ、心も温かくなりました。本当に太陽はありがたいですね。

 

昨日のブログでは「その日の気づき記録」から見えてくる「好き嫌い」についてのお話をしました。今日も続けます。

 

「好き嫌い」は人間の本性の最たるもので、これを変えるのは難しいと考えています。

歳を重ねた人ほど、それを変えるのは容易ではないでしょう。それを拠り所にして長年生きてきているわけですからね。

 

自分の「好き嫌い」を無理して変える必要もありませんし、変えない方がいいと思います。ストレスを生むだけですし、自分を否定することにもつながってしまいますからね。

 

それよりは自分の「好き」「嫌い」を明確に認識し、それを自分の生活・人生にどう活かしていくべきか、そのことを考えることがヘルシーであり、有益だと思うのです。

 

「好き」なことは長い間でも苦痛を感じずに取り組める対象ですよね。これを突き詰めていくことで、自分の人生をより深いものにできるかもしれません。

 

または、複数の「好き」な対象があれば、それらを抽象的に捉えてその共通点、ひいては「好き」の根っこにあるものを探し出せるかもしれません。

 

この「好きの根本」から、新たな「好き」の対象を発見し、それに触れ取り組むことで、幸福感を得る機会が多くなるかもしれません。

 

「嫌い」も同様に、抽象化することでその根源を認識する、そして同様に「嫌い」と思われる対象には近寄らないようにする、といった方法がとれるでしょう。これも人生を生きやすくすることに繋がりますよね。

 

 

この重要な「好き嫌い」と向き合うことを可能にしてくれるのが、「その日の気づき記録」の大きなメリットだと言えます。

 


これまで「その日の気づき記録」について、十日余りにわたってお伝えしてきましたが、いかがでしたでしょうか。

自分の生活に取り入れてみようと思われた方がいらっしゃれば嬉しく感じます。

 

もちろん、「日記」で同様の効果を見いだすことはできます。

 

「その日の気づき記録」は日記のエッセンスの抽出ともいえます。自分の日記を振り返ることはありますが、思いのほか時間がかかります。

 

この「気づき記録」であれば、大幅に時間が短縮でき、要点だけを効率よく振り返ることができるのです。

 

ここにも「面倒くさがり屋」の自分の性格が表れています(笑)。

 

 

あと、「その日の気づき記録」というネーミングがいまいちかもしれませんね…。
もっと洗練されたネーミングを考えたいと思います。

 

 

「その日の気づき記録」のもう一つのメリット 「好き嫌い」を明確に認識する

こんばんは。

今晩もこのブログにご訪問いただきましてありがとうございます。

 

今日は三連休の中日でした。いかがお過ごしになりましたでしょうか。

時間が経つのは本当に早いですね。お休みも残りあと一日しかありません。

休み明けに爽やかな気分で仕事に向かうためにも、残りの時間を悔いなく過ごしていきましょう!

 

年初からこれまで、記録することについて記事を続けていますが、お楽しみいただけていますでしょうか。

 

昨日の記事では、「その日の気づき記録」のメリットの一つとして、「自分の勝ちパターン・負けパターン」、「自分の得手・不得手」が見えてくることをお伝えしました。

 

メリットはこれに止まりません。その中でもとりわけお伝えしたいものがあります。

 

それは、

 

 

「自分の好き嫌いが見えてくる」

 

 

です。

 

これを見逃すことができません。

 

日々の気づき記録には、記事、メルマガ、ブログ、書籍、講演や会話の中で、印象に残った内もの、自分の生活に取り入れたいと感じたものを記載することはお伝えしましたね。

 

私の場合は、ここに自分の好き嫌いを感じとることが多いです。

何度も同じフレーズや文章を書いていることから、そのことがうかがえます。

 

特に私が長年愛読している一つのメルマガは、自分の生活に取り入れたい内容の宝庫なのですが、私の「その日の気づき記録」に同じ文章が何度も何度も書かれています。

そして、それに関連する内容を他のメルマガや書籍、ブログ等から引用していることも多い。

 

これは、「その日の気づき記録」が私にとっての「好き」な姿勢・生き方を示している証左です。

 

「嫌い」を示す例としては、ある著名人の方の発言やある書籍の著者の考え方に、何度も似通った疑問を呈していることがあります。

 

「好き嫌い」も、「得手不得手」と同じくなんとなく自分で気づいていることが多いと思いますが、言語化することでそれがより明確になります。

 

また、自分が気づいていなかった「好き嫌い」を認識するのは、自分が思いもしなかった「長短所」に気づくことと似ていますね。

 

両者とも気づくことに意義があります。

ただ、前者は後者に比べて、変えることが少し難しいのではないか、と感じています。

 

明日に続けます。

 

自分の長所・短所、勝ちパターン・負けパターンを知る

こんばんは。

本日も当ブログにご訪問いただきまして誠にありがとうございます。

 

三連休の初日となる本日は皆様いかがお過ごしになりましたでしょうか?

私は普段よりゆっくりと朝時間を過ごした後、家の中の整理整頓を行いました。物理的に片付けることは心の片付けにも繋がる気がしますね。

更に、部屋の埃をきれいさっぱり取り除いた後は、気分もすっきりとしました。掃除は心も掃除してくれます。

 

昨日の記事では、「その日の気づき記録」の要として、「その記録を定期的に振り返ること」についてお話ししました。

この「振り返り」においても、「感情と思考を記録する」という肝を押さえることが重要であることもお伝えしましたね。

 

まさに、「感情と思考を記録」し「振り返る」ことが肝要なのです。

 

この記録法で、自分の性向に気づきその後のアクションの改善に繋げることができます。
試してみたいと思いませんか?

 

この記録法のメリットは、他にもあります。

 

その一つが、自分の勝ちパターン、負けパターンが見えてくること。

何度同じ過ちを繰り返しているのか!と自分に対して憤りを感じるほど、同じパターンで気分を害している自分をそこに見ます。一方で、充足感や満足感を感じている出来事や行動が似通っていることにも気づきます。

 

自分の得手不得手を再認識できる、という言い方もできるでしょうか。

 

記録しなくても、自分の長所・短所については薄々気づいているとは思います。ですが、それはあくまで「薄々」であって、おぼろげなものなのです。そのことを明確に認識できていないこともありますね。記録することで、それらをより確かなものとして自覚できるようになると思います。

 

更には、思いもよらなかった強みや弱みを発見することがあります。自分が全く自覚していなかったのに、「私にはこんなことに秀でているんだ!」との気づきを得ることができる。
逆に「私の欠点はここだったんだな」と落胆することもありますが(笑)。
ですが、これも改善に繋げることができるのですから、もうけものと言えますよね。

 

 

「その日の気づき記録」の要 このポイントは外せません

こんばんは。

本日もこのブログにご訪問いただきましてありがとうございます。

 

この一週間はいかがお過ごしになりましたでしょうか?

私はあっという間に時間が過ぎてしまったように感じました。
週の前半は仕事の勘を取り戻すのに時間を要しながらも、その後はいつもの繁忙の日常に戻った感じですね。

 

そして、明日からまた三連休。お休みは嬉しいのですが、せっかく戻したリズムを崩しがちになりますね。気を引き締めていきたいと思います。

 

今日も記録についてのお話を続けますね。

 

昨日の記事では、「感情を記録する」ことの重要性についてお話ししました。

 

実務的な内容をメモしている方は多いと思います。メモ帳や手帳、スマホやPCのアプリ等、使う媒体はどんなものであっても、記録を習慣にしていらっしゃる方は少なくないでしょう。

 

ですが、「感情を記録する」ということについて実践している人は多くないと思います。というよりは、そのような発想を持ったことがない人が多いかもしれません。何を隠そう、私もそんな人の一人でした。

 

ですが「感情の重要性」を認識した私は、これを自分の習慣の一つに加えました。
皆さんもぜひ一度試してみてください。

 

そして、「その日の気づき記録」のもう一つのキーポイントをお伝えします。

それは、

 

その記録を定期的に振り返ること

 

です。

 

この「振り返り」こそが、「その日の気づき記録」の要です。

 

私は、年末年始の長期休みを機に一年間の記録を見返しました。

記録を振り返ることで、驚くほど自分が同じ行動をとっていること、または行動しなかったことに驚かされました。そして、同じような感情を抱いていること、同じ反省をしていることに気づかされました。つまり、成長していない自分をそこに見つけたのです(笑)。

 

とはいえ、後半にかけて行動が変わっていることも分かりました。ある事象に対して消極的であった自分が、年後半にはその対象に取り組み、自分を褒めていたりしました(笑)。反省の気持ちから充足感へと変わったとも言えます。

 

これは、記録し続けた行動、感情、思考を振り返ることで、以降の行動を思い切って変えてみたり、調整したりできたからに他なりません。

 

特に「感情」を振り返ることに意義があります。記録を見返しながら、当時の状況を思い出すことができます。その時に感じた気持ちや想いも思い出され、「このような感情をようにするにはどうすればよいのか?」というように、次のアクションに向けての改善を考えることができるのです。

明日に続けます。

「感情」を記録することの重要性 感情が自分の思考と行動を決めている

こんばんは。

今日も私のブログにお越しいただきまして誠にありがとうございます。

 

私の住む地域では本当に暖かな一日でした。太陽の光を思う存分楽しめましたね。あり難い一日でした。

 

本日も記録することについてのお話を続けます。

 

昨日の記事では、「記録しないと忘れてしまう」ということについてお話ししました。

これは当たり前のことなのですが、これを当たり前と思っていない方が多いのです。自分の記憶力を過信している人が多いのですね。

私も以前はその質だったのですがその思いを変えました。結果的に見栄を張らない方が良いと思います(笑)。

 

この「記録しないと忘れてしまう」のは他人とのアポイントや会議での発言内容、頼まれた買い物のアイテム、といった実務的な事柄にとどまりません。

 

自分の感情や思考はなおさら忘れやすいのです。覚えていないという表現のほうが適切かもしれません。

 

人は一日の中で数多くの思考を巡らせています。一つのことについて考えているそばから、他のことに気を取られる。次から次へと思考が移ろっていき、もともと考えていたことや感じていたことを忘れてしまう。

 

それらの思考や感情が後の自分にとって意義あるものであったとしても、覚えていなければ役立てることができません。

 

それらを活かすためには「感情と思考を記録する」ことが重要になります。

 

特に感情を記録することが重要です。

それは、人間の思考や行動の基に感情があるから。

感情をいかにコントロールできるか。これが自分の思考と行動を望む方向へ導けるか否かのキーポイントです。

 

とはいえ、感情をコントロールするのは難しく、この課題をクリアするのは解けないパズルに取り組むように、人にとって永遠のテーマであるかもしれません。

ただ、少しでも感情をうまく操るべく努力するのとしないのとでは、長い期間でその差が大きく現れてくるように思うのです。

 

自分がどのように感じているのか、感じていたのか、を認識していなければ、感情を操りようがありませんよね。

自分の感情を認識すること、それを忘れないために記録すること、これが「気づき記録」に欠かせないポイントだと思っています。

 

 

私が「その日の気づき記録」を書くのは夜一日を振り返るタイミングですが、その頃には、日中に重要だと感じていたことはすでに覚えていませんね。

 

私は、その時その時に抱いた、自分にとって重要と思われる感情や思考をメモしておきます。

長文を書くのではなく、単語や数フレーズの簡単なメモです。毎晩このメモを見返すことで、その時の状況を思い出しやすくなり、記録時の言語化が容易になります。

 

 

「記録する」ことの第一義ともいえる理由 人の記憶力はこれほどにも当てにならない

こんばんは。

本日もこのブログにご訪問いただきまして誠にありがとうございます。

 

早くも水曜日が終わろうとしていますね。本日はいかがお過ごしになりましたでしょうか。

私はすっかりいつもの日常に戻った感覚です。つい三日前までお休みであったことが信じられないですね。忙しいことは良いことですね(と自分に言い聞かせています…。)

 

さて、本題に入ります。

 

今日も、記録することについてのお話を続けます。

 

昨日の記事では、「その日の気づき記録」は形式や文章の巧緻にこだわらずに、その日の気づきを書いていけばいい、とお話しました。

ただし、一つだけ外せないポイントがあることもお伝えしましたね。

 

それは「感情と思考を記録する」ことでした。

 

今日は、この「感情と思考を記録する」ことの重要性をお伝えしようと思っていました。

が、この記事を書いている最中に、「記録する」ことについてあまりにも基本的なことを書いていないことに気付きました。

「記録する」ことの第一義の理由とも言えるものです。

 

それは、

 

「記録しないと忘れてしまう」

 

からです。

 

例えば、帰宅途中に買い物を頼まれていたのに、そのことをすっかり忘れて家に着いてしまったり、買い物することは覚えていてもあるアイテムを買い忘れてしまったりします。

 

仕事場においてもこんなことがありませんか。

 

会議終了後にふいに議事録の作成を頼まれたあなたは、会議の内容を振り返ります。

会議の場では、会議での議論やいくつかの発言内容の重要性は認識していたつもりです。

ですが、その場でノートを取っていなかったため、あなたの議事録にはいくつかの重要なポイントが漏れており、上司にそのことを指摘されてしまいます。

 

会議終了後にすぐ書くならまだしも、翌日以降に書いたりする場合には、歯抜け状態の議事録になってしまうかもしれません。

 

些細なことならまだしも、他人との約束を忘れてその人に迷惑をかけたり、自分の評判を落としてしまったりするリスクもありますよね。

 

ドイツの心理学者、エビング博士の忘却曲線についてはご存知でしょうか?

人が何かを学んだ時に、20分経つと42 %を、1時間後には56%を、24時間後にはなんと約四分の三を忘れてしまうという実験結果ですね。

 

人の記憶力はこんなにも当てにできないものなのです。

自分の記憶力を過信しないようにしましょう。私はそうしています(笑)。

 

この記憶力の低下は、学んだことに限らないと思います。

やりたいこと、やった方がいいことをうっかり、すっかり、忘れてしまうことも多くありませんか?

 

やらなければいけないことが多すぎる、注意をそらす誘惑が多すぎる、といった生活環境においては、「やること」を忘れるリスクが高くなっていると思います。

(加齢の影響だけとは認めたくない自分がいます(笑))

 

そして、「記録しないと忘れてしまう」のは、このような実務的な話にとどまりません。

 

明日に続けます。