「記録する」ことの第一義ともいえる理由 人の記憶力はこれほどにも当てにならない
こんばんは。
本日もこのブログにご訪問いただきまして誠にありがとうございます。
早くも水曜日が終わろうとしていますね。本日はいかがお過ごしになりましたでしょうか。
私はすっかりいつもの日常に戻った感覚です。つい三日前までお休みであったことが信じられないですね。忙しいことは良いことですね(と自分に言い聞かせています…。)
さて、本題に入ります。
今日も、記録することについてのお話を続けます。
昨日の記事では、「その日の気づき記録」は形式や文章の巧緻にこだわらずに、その日の気づきを書いていけばいい、とお話しました。
ただし、一つだけ外せないポイントがあることもお伝えしましたね。
それは「感情と思考を記録する」ことでした。
今日は、この「感情と思考を記録する」ことの重要性をお伝えしようと思っていました。
が、この記事を書いている最中に、「記録する」ことについてあまりにも基本的なことを書いていないことに気付きました。
「記録する」ことの第一義の理由とも言えるものです。
それは、
「記録しないと忘れてしまう」
からです。
例えば、帰宅途中に買い物を頼まれていたのに、そのことをすっかり忘れて家に着いてしまったり、買い物することは覚えていてもあるアイテムを買い忘れてしまったりします。
仕事場においてもこんなことがありませんか。
会議終了後にふいに議事録の作成を頼まれたあなたは、会議の内容を振り返ります。
会議の場では、会議での議論やいくつかの発言内容の重要性は認識していたつもりです。
ですが、その場でノートを取っていなかったため、あなたの議事録にはいくつかの重要なポイントが漏れており、上司にそのことを指摘されてしまいます。
会議終了後にすぐ書くならまだしも、翌日以降に書いたりする場合には、歯抜け状態の議事録になってしまうかもしれません。
些細なことならまだしも、他人との約束を忘れてその人に迷惑をかけたり、自分の評判を落としてしまったりするリスクもありますよね。
ドイツの心理学者、エビング博士の忘却曲線についてはご存知でしょうか?
人が何かを学んだ時に、20分経つと42 %を、1時間後には56%を、24時間後にはなんと約四分の三を忘れてしまうという実験結果ですね。
人の記憶力はこんなにも当てにできないものなのです。
自分の記憶力を過信しないようにしましょう。私はそうしています(笑)。
この記憶力の低下は、学んだことに限らないと思います。
やりたいこと、やった方がいいことをうっかり、すっかり、忘れてしまうことも多くありませんか?
やらなければいけないことが多すぎる、注意をそらす誘惑が多すぎる、といった生活環境においては、「やること」を忘れるリスクが高くなっていると思います。
(加齢の影響だけとは認めたくない自分がいます(笑))
そして、「記録しないと忘れてしまう」のは、このような実務的な話にとどまりません。
明日に続けます。