世界のビールを楽しむ アサヒビール
さあ、今日はアサヒビールに関しお話しします。
日本では業界トップですが、世界の生産量ランキングでは、やっと7位に入り込んだというレベルです。世界は広いですね。
とはいえ、販売額でみると、もっと上位に食い込んできますので、世界のメジャービールの一角を占めているといっていいと思います。
今や日本でビールといえば「スーパードライ」がトップに位置していますが、アサヒが数十年前までは、瀕死にあえいでいたことをご存じですか?若い方は知らないかもしれませんね。
戦後、長期間に渡って、日本のビールといえば「キリンラガー」でした。キリンはダントツのトップで、国内シェアは60%以上も握っていました。
アサヒはサッポロに続く三番手で、新興のビールメーカーとなったサントリーにも追い付かれ、じり貧の状態にあったのが、1980年台中盤です。1980年代後半に大躍進が始まるのですが、追ってお話ししますね。
アサヒビールは1949年に、大日本麦酒の分割によって設立されます。以前、青島ビールをご紹介した際に、大日本麦酒という会社について触れたのを覚えていらっしゃいますか。
大日本麦酒という会社について説明するにあたり、アサヒビールを中心に日本のビール会社の歴史をお話しさせてください。少し長くなりますがお付き合いください。
現在日本の大手ビールメーカーは、アサヒビール、キリンビール、サントリー、サッポロビールの4社、オリオンビールを含めると5社になりますが、戦前の日本のビール業界は、現在とは様相が異なります。
アサヒビールの前身である大阪麦酒は1889年に設立されました。同じ時期に、札幌麦酒(サッポロビールの前身)、や恵比寿ビールを製造していた日本麦酒も創立されています。
1906年に、大阪麦酒、札幌麦酒、日本麦酒の三社が合併して誕生したのが、大日本麦酒です。
アサヒとサッポロが、この大日本麦酒という、戦前の巨大ビール会社を前身としていることをご存じない方もいらっしゃると思います。
三井系の日本麦酒が中心となり実現した同社は、その後も、東京麦酒、日本麦酒鉱泉、桜麦酒というビールメーカーを買収し、戦前の国内シェアは7割前後を有していました。
戦前の国内ビール市場では、大日本麦酒が圧倒的な存在感を示していました。
明日に続けます。