世界のビールを楽しむ アサヒビール③
昨日の記事では、1980年代中盤に朝日麦酒が存続の危機に陥ったところまでお伝えしました。
その後同社はどうなっていったのでしょうか。
1986年に朝日麦酒は「アサヒ生ビール」を発売します。
消費者はビールに「コク・キレ」を求めているとの市場調査結果に基づき、これまでの日本のビールの味を刷新した製品でした。
ちなみに、同年には、朝日麦酒をサントリーに売却する話も水面下で行われていましたが、これは破談となります。市場に「アサヒ生ビール」という新製品を導入しながらも、裏では、朝日麦酒をサントリーに買収させようという動きがあったのです。
このような状況にありながらも、「アサヒ生ビール」は消費者に受け入れられ、朝日麦酒は同年には国内シェア10%台に戻します。とはいえ、厳しい状況は変わりません。
この危機的な状況を救ったのが、今では日本のトップブランドである「アサヒスーパードライ」です。
今やアサヒの代名詞となった「スーパードライ」が販売されたのは1987年。前年にヒットした「アサヒ生ビール」の「コク・キレ」のコンセプトを進展させ、日本初の辛口ビールを謳い、市場に投入します。首都圏限定で販売を開始したのが同年の3月。その後、首都圏での販売が盛況となり、夏頃には前倒しで全国販売を開始します。その後も勢いはとどまらず、同年の1987年ヒット商品番付で東の横綱に選ばれるほどの大ヒット商品となりました。
当時、私はビールを飲める歳でもなく、また、全くビールに興味がありませんでした。
しかしながら、「スーパードライ」が発売された当時のTVコマーシャルを今でも覚えています。
国際ジャーナリストの落合信彦氏が起用されていたCMです。
世界を股にかけて活躍する同氏が、「スーパードライ」を豪快に飲むシーンの後に、低音で「アサヒスーパードライ」というナレーションが響くCMです。私の記憶する限り、複数のバージョンが数年に渡って流れていたと思います。
私はビールが飲めないながらも、「スーパードライ」のファンになってしまいました。(笑)。
ちなみに、研究者や大学教授、メディアアーティストして活躍されている、落合陽一氏が、落合信彦氏のお子さんであることを最近知りました…。