「行動と見識」KOUSHIのブログ

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世界のビールを楽しむ アサヒビール④

おはようございます。

 

今日もアサヒビールの「スーパードライ」の話を続けます。

 

スーパードライ」の大ヒットに、他社も手をこまねていたわけではありません。

 

1988年には、キリン、サッポロ、サントリーの各社がドライビールの販売を開始します。この、ドライビールの販売競争が激化した状態は、当時「ドライ戦争」とも呼ばれました。

 

キリンは1988年に「キリンドライ」、その翌年には「キリンモルトドライ」というビールを市場に投入します。サッポロビールは「サッポロドライ」を、サントリーは「サントリードライ」を投入します。

各社とも「自社名+ドライ」というシンプルなネーミングですが、逆に、どこも自社の看板ブランドして市場導入したことがうかがえます。

 

キリン、サッポロ、サントリーがドライビールの販売を開始したのは1988年の2月です。この段階で大手4社すべてがドライビールを発売したことになります。消費者のドライビールへの関心は強く、各メーカーの想定以上の需要が押し寄せ、瞬く間に品薄状態に陥ります。

アサヒは前年の1987年の「スーパードライ」の大ヒットをもとに販売計画を立てていたこともあり、他社がまかなえない需要も取り込むことになりました。

 

ビールの最需要期である同年の夏には、「スーパードライ」も含めた大手4社のドライビールの需要がピークに達しますが、その中でアサヒが有利に販売を進めます。この「ドライ戦争」をアサヒが制し、他社はドライビール戦争から離脱し、従来の主力商品への回帰や、次期主力商品を模索する状況となりました。

 

この「ドライ戦争」の影響で、全ビール市場におけるドライビールの割合は全社合計で34%にまで達しました。「スーパードライ」が発売された前年の1987年の割合は3%であったということですから、僅か一年で「ドライビール」という市場が作り出されたと言えるでしょう。この市場でアサヒは絶対的な地位を築いたのです。

 

この「スーパードライ」の大ヒットにより、朝日麦酒は売上高と市場シェアを劇的に回復し、1988年にはサッポロを抜き、国内シェア2位の座に返り咲きます。