ホッピーミーナの最初の大失敗はあの商品だった
おはようございます。本日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。
いよいよ金曜日がやってきましたね。
もう何度もお伝えしているので、「止めてくれ。もういいよ」という声も聞こえてきそうですが、充実した週末を過ごすための金曜日の重要性を軽んじてはいけないと思います。
(先週の金曜日に外飲みで泥酔し、土曜日の午前中を台無しにした私が言うもの説得力がありませんが…)
さらに今日は月初めにあたります。今日という日を軽視する理由が見つかりませんよね。
今日は朝から晩まで全力投球で過ごしていきたいと思っています。
さて、今日もホッピーの話を続けますね。
昨日は、ホッピーミーナという方が現在のホッピーを築き上げた方であることについて触れました。そして、彼女が苦労人であることも。
今日はホッピーミナがどのような苦労や困難を乗り越えてきたかをお伝えしたいと思います。
同社が1999年に市場投入した「ホッピーハイ」についてお伝えしましたね。
ホッピーが傾きかけた状況で打ち出した新製品でしたが、逆に赤字を出すという大失敗に終わってしまいました。
そして、ホッピーミーナのコクカ飲料入社が1997年であったのはお伝えしたとおりです。
ここから何らかの関連性が感じられますか?
そうです、実は「ホッピーハイ」はホッピーミーナが主導した商品だったのです。
ホッピーミーナは入社後まもなく社長を説得し「ホッピーハイ」の新商品開発に取り組みます。
焼酎をホッピーで割るのが一般的な飲み方ですが、「焼酎にホッピーを割るのが面倒」、「最初から焼酎と一緒になっているホッピーはないのか?」という消費者の声があったことが、「ホッピーハイ」開発の一つの理由であったようです。
また、ホッピーのイメージが「古臭い」、「ダサい」という市場調査結果から、「ホッピーハイ」をおしゃれなイメージで商品化することに注力します。女性の間でチュウハイやサワーが好まれ始めたことも、このコンセプトの推進を後押しします。
ですが、結果はお伝えしたとおり大失敗に終わります。新しい顧客を掴むどころか、従来のホッピー支持層を失いかける状況に陥ってしまったのです。ホッピーハイはわずか1年半後に撤退を余儀なくされます。
この大惨敗は当然同社にとって打撃となりました。
ここで私がより注目したいのは、当時のホッピーミーナを取り巻く環境を考えると、これは彼女個人にとって非常に辛い出来事であったではないか、という点です。
明日に続けます。