「試して比較する」ことが新しい出会いにつながる
こんばんは。
本日も私のブログにお越しいただきありがとうございます。
昨日の記事では、新たな試みについて誓い(?)を立てました。
朝食に加えて昼食も抜くという試みです。
何事も試してみなければ、それが自分に合うかどうかは分かりません。
そしてその効果をかえりみることが重要ですよね。実践と検証という二つのステップはセットで考えるべきです。
この「実践と検証」に加えて、自分の生活の中で心掛けていることは多々あります。
そのうちの一つが
「試して比較する」
ということです。
以前の記事で、甲類焼酎の比較について書きました。
宮崎商店の社長さんが、お客さんである居酒屋さんの計らいでキンミヤとその他の甲類焼酎をの見比べた。それまで「甲類焼酎はどれも同じ」と思っていた社長さんは、その時初めてキンミヤが他の甲類焼酎と異なることに気づいた、というストーリーでした。
「これは実話かな」と疑いたくなるほど、このストーリーの秀逸さに魅いられたのですが、それと同時に
「やはり比較することは重要だ」
という思いを新たにしたのです。
私たちは、日々の生活の中で様々な比較をしています。
例えば電化製品を買うときには、スペックの違いや価格の違いを比較します。
スーパーで食品を買うときには、できる限りやすく手にいれるべく、複数のお店の価格を比較する人もいるでしょう。
どのような製品やサービスを導入するときにも、程度の差はあれ何かしら調べますよね。
こういう意味では、私たちは常に比較しているとも言えますかね。
ですが、甲類焼酎の味わいを比較しようとはなかなか思わないのではないでしょうか。
吞兵衛の皆さんの中でも、わざわざ甲類焼酎の飲み比べをしようと思う方は少数派だと思います。
甲類焼酎に特別なこだわりを持っている方は別かもしれませんが、「安くていっぱい飲めればよい」という(私のような)探求心のない酒飲みは、飲み比べという発想すら起こらないでしょう。
違いがあることが歴然としている、または分かりやすいのであれば、人は図らずも比較するでしょう。
ですが、どれも変わりないと考える対象をわざわざ比較することは少ないと思います。
この「どれも同じだ」という先入観が、新しいものとの出会いの機会を狭めてしまうのではないかと感じるのです。
それが、第三のビールでも、発泡酒でも、ビールでも同じことです。(お酒ばかり挙がっているのは気のせいです・・・)
結果として「どれも同じだ」という結論を得ることでも良いのです。
それは検証を踏まえた結論ですから、飲み比べない「どれも同じだ」とは意味が異なります。
明日に続けます。