「ローヤル」を創業 売れないはずの「売れ残り」を売る鍵山さんの凄さ
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
あっという間に水曜日が終わろうとしていますね。
今週はこれまでいかがお過ごしになっていますでしょうか?
私は月曜日の体調不良から回復し、ここ二日間で何とか遅れを取り戻すべく奮闘しています。
やはり健康は重要ですよね。
季節の変わり目は特に健康に気を配らないといけない。そのことを改めて実感しました…。
今日も鍵山秀三郎さんの話を続けます。
昨日の記事では、鍵山さんが自動車部品会社の専務取締役の地位を投げ捨てて、自分の志を貫き個人創業をされたことをお話しました。
その会社名は「ローヤル」。
「ローヤル」の社名は、たとえ小さい会社でも「どこまでも王道を貫く会社経営をしたい」という鍵山さんの思いが込められています。
当時の自動車用品業界は詐欺まがいの商売が横行してました。
雪が降るとタイヤチェーンの値段を平然と10倍、20倍にするなど不透明販売方法が主流。
以前勤めていた会社に「せめて自社だけでもこのような販売方法を改めてほしい」と直訴するも受け入れられない。そうした体質を変えたいという思いが「ローヤル」という社名を名付けた一因です。
「理想の会社をつくる」という非常に強い志を胸に、「ローヤル」は事業を開始ししました。
毎日自転車に乗って売り歩く行商が、鍵山さんの活動のスタート。
ですが、「ローヤル」を、鍵山さんを取り巻く現実は非常に厳しいものでした。
バイタリティにあふれる鍵山さんですが、売りたくても売るものがない状況にあったのです。
というのも、以前勤めていた自動車部品会社がメーカーに圧力をかけたため、鍵山さんはなかなか商品を仕入れることができなかった。
ふつうの人でしたら、ここで「万事休す」と感じてしまうかもしれません。
しかし、鍵山さんはあきらめません。
売れ筋商品を仕入れることはできませんでしたが、メーカーの倉庫で埃をかぶっていた商品を譲り受けることはできました。
この「売れ残り」品を鍵山さんは売りました。「売れない」はずなのに。
その後も何十社ものメーカーを回り在庫商品を借り受けては、人気のない商品を自転車で売り歩いたのです。奥さんと子どもと一緒に行商をしたこともあるようですね。
鍵山さんは後に「今考えると、『なぜ売れたのか』という商品がほとんどでした」と述懐されています。
「私にエネルギーがみなぎっていたんでしょう。」とも。
鍵山さんの不屈の精神で、ローヤルは徐々に売り上げを伸ばしていきます。
明日に続けます。