この「心の広さ」に感服せずにはいられない
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
私の住む地域では今日梅雨入りしました。これから本格的に蒸し暑い日々が始まるわけですね。
よりいっそう体調管理に努めていきましょう。
ここ数日間で、鍵山秀三郎さんの少年時代を振り返りました。疎開先での過酷な環境にくじけるどころか、それをバネにして強い精神力を養っていった鍵山さんは本当に凄い方です。
今日からは、鍵山さんの上京後を詳しく見ていきたいと思います。
ローヤルは、鍵山さんが一人で自転車に乗って行商に飛び回るところから始まりました。
イエローハットという大企業に育て上げる過程で、どれだけ人から嘲笑され、無視され、馬鹿にされたりして惨めな思いをされたかは数え切れないとおっしゃっています。倒産の危機にも何度も立たされたようです。
当時のことは多くのエピソードが書籍の中でふれられており、どれも鍵山さんの素晴らしさを感じずにはいられません。
今日はその中でも、鍵山さんの誠実さが伝わってくる逸話をお伝えします。
鍵山さんが自動車部品会社の専務取締役の地位を投げ捨てて、自分の志を貫き個人創業をされたことはすでにお伝えしましたね。
その自動車部品会社がメーカーに圧力をかけたため、鍵山さんが商品を仕入れることに苦労したことも。
書籍の中で、当時のことを下記のように振り返っていらっしゃいます。
「『独立したら応援するから』と言っていた親しいメーカーさんから、独立したとたんにそっぽを向かれた。
独立前とは打って変わった掌を返すような応対。約束通りに商品を売ってもらえない。」
このような状況でも諦めないのが鍵山さんの凄いところです。
売れ筋商品を仕入れることはできなくても、メーカーの倉庫で埃をかぶっていた商品を譲り受けることはできた、ということもすでにお伝えしました。
そして、その「売れない」はずの商品を売ってしまうのが鍵山さんの凄さ。
これは、
「それでもあきらめず、その後あらゆる努力と工夫をして活路を切り開いてきた。」
と書籍の中でおっしゃっていることの一つの例ですね。
まさに、少年時代に培った強靭な精神力があらわれているように感じます。
そして、何よりしびれたのが、次の言葉です。
「売上が増え仕入れが増えるに伴って、今度は多くのメーカーさんが売り込みに来た。そのなかには、創業時手のひらを反すような応対をされたメーカーさんも含まれていた。当社は、その会社と現在何もなかったかのように通常の取引をしている。」
ここでも、自分が同じ環境に置かれた場合に鍵山さんと同じ行動をとれたかどうか、を考えずにはいられませんでした。