バカバカしいにも程がある
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
あなたはこの日曜日をどのように過ごしましたか?
私は溜まってしまった疲れを癒すべく「戦略的に」朝寝坊をしました。
おかげでずいぶん頭も体もすっきりすることができ、残りの時間を活動的に過ごすことができました。やはり睡眠は重要ですね。
昨日の記事では、自分が嫉妬を抱いてしまった場合の対処法として、
「大切なのは『自分がよければそれでいい』と思うこと」
という楠木建さんのお考えをお伝えしました。
楠木建さんは、もう一つのポイントを示してくださっています。抜粋しますね。
「もう一つ大切なのは、「自分はフツウの人間だ」と思うこと。要するに謙虚であること。」
「世の中の優れた大人は決まって謙虚。『人は人、自分は自分』という感覚をもっている。ダメな人ほど人と比較しては悩んでいる。バカバカしいにも程がある。」
痛快な文章です。何度読んでもスカッとします。
まず、「フツウの人間だと思うこと」=「謙虚であること」と言い換えている部分。ここに膝を打ちました。
「謙虚」という言葉は「控え目、つつましい」という意味ですが、「自分を偉いものと思わない」ということでもあります。
「フツウの人間だと思う」ことがすなわち「謙虚」。分かっているようで実際には理解していなかった、そのことに気づかされたのです。
ちなみになぜ私が「フツウ」とカタカナで書いているのかは今となっては思い出せません…。書籍には「普通」と書いてあったような気がします。
そして、「世の中の優れた人は決まって謙虚」と断定されているところもすごい。
この文章を読んだ後に自身の周囲を振り返ってみました。
実際の社会、特にビジネスシーンにおいては、決して謙虚とは思えない人が高いポジションにいたりしませんか。自分勝手で押しの強い人が偉くなっていたりする。必ずしもすべての人が謙虚とはいえないのではないか。
ですが、私はすぐに考えを改めました。こういう思考をすること自体が、他人と自分を比較している、ということに気づいたからです。
また、「優れた人」=「高い地位にいる人」と考えること自体間違いかもしれませんね。
「人は人、自分は自分」という感覚をもっていれば、このようには考えないでしょう。
他人を評価・批判するのは、他人と自分(の考え・信念)を比較していることに他なりません。
さらに「ダメな人ほど人と比較しては悩んでいる」という言葉。自分のことを言われているように感じましたね。
最後にダメ押しの「バカバカしいにも程がある」。
納得感に満たされてぐうの音も出ませんでした。
「バカバカしくて救いようがない」とのきつい言葉ですがその中にも優しさも含まれている。そして、なぜか清々しさも感じました。
さらに、本書(『好きなようにしてください たった一つの「仕事」の原則』(ダイヤモンド社 2016年))の他の部分では、嫉妬されている相談者へのアドバイスとして
「嫉妬する人と自分を違うカテゴリーに入れる」
ともおっしゃっています。
カテゴリーが異なれば比較対象にならない→よって嫉妬されない、ということですね。この視点も面白い。試してみる価値があると思いませんか。