人間関係を「ゲーム」として考える
こんばんは。
あなたは今日どんな一日を過ごしましたか?
私は久しぶりの外出の移動時間を活用し、英語学習と読書の時間をとることができました。英語学習といっても英語音声を聞き流すだけなのですが、繰り返し聞くことで頻出のフレーズを覚えられたりと、その効果はないがしろにできません。
移動時間を一分たりとも無駄にしない仕組みは重要だと思っています。
それにしても暑い。ほんの短時間外にいただけでも疲れを感じてしまいました…。
さて本題に入ります。
「傲慢なオヤジを謙虚にさせる方法はないか?」
との問いに対し、ようやく楠木さんのアドバイスが披露されます。
改めて抜粋しますね。
「ではどうすればいいか。威張られたとき、嫌がったり怒ったりせず、ひたすら静かに悲しむ。『こいつー!』とか思わないで『嗚呼、威張らずにはいられない。哀しいなぁ、人間ってー」』という方向に気持を持っていく。」
これを楠木建さんは「怒るな、悲しめ」の原則と呼んで言います。
楠木建さんの私的専門用語です。
ちなみに、この「私的専門用語」という面白い表現も、何度かこの書籍の中に登場したと記憶しています。
さらに続けます。
「だいたい威張る人は気持ちのどこかに寂しさがある。だから威張る。この原則を自家薬籠中の物とする。」
「怒るどころか、威張る人と接するのが次第に面白くなってくる、楽しくなると言っても過言ではない。その人の寂しさに思いを馳せ、悲哀をかみしめているうちに、人間という生き物が面白くなってくる。」
正直こういう発想はありませんでした。面白いです。
人間について深く考えていないと、このような対処法はなかなか思いつかないでしょう。
「威張り」にネガティブに反応するのではなく、「人間の悲哀」として捉える。
これを完全に自分のものとすると、威張る人と接するのが面白くなってくる、楽しくなってくる。
そして、人間という生き物の面白さに思いをはせるようになる、と。
これは試してみたい、と思いませんか?
この章には本当に感服しました。(他の章でも思わず唸ってばかりですが…)
それは私が他人の言動に対して、過敏に、何の戦略もなく、その時の気分のまま、反応していたからだと思います。
この「原則」を用いるというのは「ゲーム」として考えることに繋がっているように感じます。楠木建さんがこう言っているわけではなく、あくまで私の感じたところです。
人間関係はゲームとして捉えると少しは気が楽になります。
というか、真剣に深刻に考えすぎてしまうと、人間関係に疲れてしまいます。気楽にいかないといけないのです。
この人間関係の「ゲーム」化については、これまで数多く読んできた、人間関係についての書籍から、自身で考えていたことではありました。
ですが、あくまで「フワッ」とした感じで、しっかりと言語化できていませんでした。
楠木建さんの本を読んで、それを言語化できたような気がしました。
明日に続けます。