「イラっとする」という表現から見えるもの
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
あなたはどんな一週間を過ごしましたか?
この週末は、今週・今月の活動レビューと9月の生き方やタスクを考えるのに最適なタイミングだと思います。
2日間を全力投球で過ごすために、今できること。私にとっては飲み過ぎないことです(笑)。
金曜日から週末が始まっている、このことを忘れないようにしたいと思います。
楠木建さんの『好きなようにしてください たった一つの「仕事」の原則』(ダイヤモンド社 2016年)には、まだまだ心に刺さる文章があります。
この書籍はNewsPicksの読者に対するキャリア相談が下敷きになっていますので、仕事に関する記載が中心になっています。キャリアを考えるうえで、思わず唸らされる記述が「これでもか」というほどあります。
同時に、キャリア・仕事に捉われず、人生全般に通じる内容も多い。これまで私がお伝えしてきたのは後者の範疇に入るものです。
今日も、この後者の部類の中から、心に刺さった文章をお伝えしていきたいと思います。
今日は
「イラっとする」
について話を進めていきます。
この「イラっとする」という言葉は日常的に使われていますね。
いつからこの言葉が標準表現のように使われるようになったのかは思い出せませんが、多くの人がこの言葉を使っています。
私もいつしかその一人となっており、この言葉に違和感を感じたり、意味を深く考えたことはありませんでした。
楠木建さんは違います。さすがです(笑)。
この言葉を「幼児性」の表れとして論を展開されています。
最初に、私がメモした抜粋を記載していきますね。
「『イラッとする』のは幼児性の表れ」
「身の回りのことがすべて自分の思い通りになるものだという前提で生きている人を『子ども』と言う。『基本的に世の中のすべては自分の思い通りにならない』という前提を持っているのが大人。」
「そういう前提で生きていれば、思い通りにならなくても、いちいちイラッとすることもない。たまに思い通りになることがあると、思わず『ニコッとする』。」
「本来は個々人の『好き嫌い』の問題を手前勝手に『良し悪し』にすり替えて、わあわあいうのも幼児性。」
「他人のことに関心を持ちすぎるのも幼児性。本当にその人が気になるというよりも、自分の中に何かの不満や不足感があって、その埋め合わせをしている。」
「大人の幼児化」に関する意見や指摘は、これまでも多くの識者によってなされてきました。
私も何となくその傾向を感じていましたが、例によって深く考えたことがなかった…。
この「イラっとする」という表現から、この現象を鮮やかに説明していく楠木建さんに脱帽しました。
明日に続けます。