「大人」とはある前提を持っている人 あなたは大人でしょうか?
こんばんは。
本日もこのブログにお越しいただきありがとうございます。
8月最後の週末が終わろうとしています。あなたは充実した一日を過ごすことができましたか?
私は8月の振り返りと9月のアクション検討に注力することができました。自分の生活・生き方について考える時間は楽しく、かつ価値があると思っています。
今晩のビールはいつもより美味しく感じます(笑)。
昨日の記事では、楠木建さんの仰る、「子ども」と「大人」の定義についてお話しました。
「大人」の定義は
「『基本的に世の中のすべては自分の思い通りにならない』という前提を持っている人」
でしたね。
この「前提を持っている」人は世の中にどれだけいるのだろうか、と疑問を感じたのです。
あなたはどう思われますか?
世の中で生きていくうえで、仕方なく「『自分の思い通りにならない』状況を受け入れる」。
多くの人が日々経験していることでしょう。これはいわば「受け身」の行動と言えるのではないでしょうか。
一方で、「『自分の思い通りにならない』という前提を持つ」は「能動」・「自発」の行動と言えるのではないか、と感じます。
こう考えた時に、自発的に生きている人はそれほど多くないのでは? そう思ったのです。
渋々と不本意な状況や結果を受け入れている人が大多数で、「世の中すべては自分の思い通りにならない」という前提をブレなく持っている人は多くないのではないでしょうか。
楠木建さんは次のように続けます。
「そういう前提で生きていれば、思い通りにならなくても、いちいちイラッとすることもない。たまに思い通りになることがあると、思わず『ニコッとする』。」
そういう前提で生きていれば、いちいちイラっとすることはないのですね。「イラっとする」感情を押し殺すことはあっても「いちいちイラっとしない」ことが根付いているのか? その場で感情を露にはしないが、「イラっとした」出来事を引きづっていないか?
さらには、「ニコッとする」ということがあるのか? 「思い通りに行って当然だ」と思っていないか?
こう考えると、私はまだまだ「大人」になり切れていないと認めざるを得ません…。
あなたはどうですか?
言い争いや仲違いをしている一方の人に対して、第三者が「大人になれよ」というシーンはよくありますよね。第三者であれば言えても、自分が当事者であったときにそう思えるか。
楠木建さんの文章を読んで、こういう思索にふけることができただけで、少しは「大人」になれた気がします(笑)。
物事の本質を的確に表現している書籍に出会うのは本当に嬉しい出来ことだ、と改めて感じましたね。
それにしても、「イラっとする」と対比させた「ニコッとする」とい表現。さすがですね。