1966年と1977年にあった画期的な出来事 さらにその11年後にも
こんばんは。
日曜日が終わりを迎えようとしています。あなたはこの週末をどのように過ごされましたか?
私は掃除・洗濯といったルーティンに加えて、いろいろな手続きごとを一気に片付けました。「やらなくてはいけないこと」をこなすと、気分がスッキリします。
懸案事項はできる限り早く片付けてしまう。小さなことでも精神面に与えるプラスの影響は大きい。そのことを実感しました。
昨日は、柿ピーから始まり、そこから派生して柿の種を世に送り出した浪花屋製菓さんについてお話しました。
現在、柿の種の製造メーカーとして有名なのはトップシェアの亀田製菓さんのほかに、でん六さん、岩塚製菓さん、三幸製菓さんといった米菓メーカーです。
柿ピーはスーパーやディスカウントストアのプライベートブランドも数多く、もはや国民的米菓といっても良い存在でしょう。
私はもっぱら柿ピーばかり食しており、柿の種のみを楽しむことはほとんどありません。
私にとっては柿の種とピーナッツの組み合わせが良いのです。
「誰がこんな絶妙な組み合わせを考えたのだろう。その人は天才だな。」と常々思っていたのですが、柿ピーが生まれたきっかけについては諸説あるようです。
有力なのは帝国ホテルのバーで、ナッツに柿の種を混ぜて供したというもの。1955年ごろから始まったといいますので、柿ピーはすでに60年以上の歴史を有していることになります。
柿の種を一躍メジャーな存在にしたのが亀田製菓さんです。柿ピーが生まれたのは、創業者の奥さんが思い付きでピーナッツと柿の種を一緒に食べたのが始まり、という説もあります。
亀田製菓さんが柿ピーの販売を始めたのが1966年。「ピーナッツ入り柿の種」という名称でした。
ここからも分かるように、当初は「柿の種」が主で「ピーナッツ」は従、という関係性であったといえるでしょう。
「柿ピー」が初めて商品として売り出された、記念すべき年。それが1966年です。
ちなみに当時の柿の種とピーナッツの比率は7:3でした。
柿ピーをよりメジャーな存在に押し上げたのが、1977年に亀田製菓さんが市場に投入した「フレッシュパック柿の種」です。6個の個包装の袋が入っているのは今では当たり前ですが、この形態が始まったのは1977年なのです。
それまでは、大袋に入っているのが一般的で、一度袋を開けると味の劣化が避けられませんでした。1食分ずつ小分けに包装することで、味を保つことが可能になりました。さらには、持ち歩きも可能になったことから、それまでの食卓のお菓子という存在から、行楽時のおやつや、個人での消費という新たな用途を生み出しました。
さらに亀田製菓さんに追い風が吹いたのが1980年代後半。
この時期に何が起こったかお分かりになりますか?
以前からこのブログをお読みいただいてる方であれば、察しがつくかもしれませんね。
明日に続けます。