トレードオフの本質を考える
こんばんは。今日もこのブログに訪れていただきましてありがとうございます。
あなたはどのような週末を過ごしましたか。
私は心身共にリフレッシュすることができました。睡眠時間を十分に確保し体調が万全になったのを感じます。この感覚は久しぶりです。
そして、活動的に過ごして良い気分で今日一日を過ごすことができました。外に出て他者とかかわるのは本当に良いですね。
さて、本題に入ります。
昨日は、「自分に向いていて、好きなモノを見つける方法」についてお話しました。
いかがでしたでしょうか。
今日は、楠木建さんからの学びには話を戻します。
一昨日までお話していた「無努力主義の原則」につづいて、2番目にメモしていたのが今日お話する内容です。
メモの初めにその標題を書くようにしています。そこには
「トレードオフの本質は『何をやらないか』」
と書かれています。
その後に続くメモから、細かい内容を見ていきましょう。
「時間や体力やお金などの資源制約がある以上、『何かを得る』、『何かをする』ということは、同時に『何かを手離す』、『何かをしない』と表裏一体。これをトレードオフという。」
「トレードオフの本質からして、『何をするのか』よりも『何をしないのか』の判断のほうがよっぽど大切で、タフな意思決定。その時点で何かを失うことになるのだから。」
「『時間』は最もどうしようもない制約。凄い人は『何をしないか』というトレードオフの選択において、尋常ならざるクリアな基準の原則を持って生きている。」
どんな質問に対する回答でこの文脈が書かれていたのか、正直具体的に覚えていません。(楠木建さん、すみません…)
覚えているのは、二者択一を迫られている相談者に対し、お決まりの「好きなようにしてください」のフレーズから始まり、面白おかしく、そして実に深い洞察を披露されていたことです。
まずは、最初のメモから振り返ります。
「時間や体力やお金などの資源制約がある以上、『何かを得る』、『何かをする』ということは、同時に『何かを手離す』、『何かをしない』と表裏一体。これをトレードオフという。」
冒頭で3つの資源が列挙されています。一つずつ見ていきます。
「時間」の重要性についてはよく語られますよね。時間は有限であり、その意味でお金よりも大事である、とか。
「お金」にも制約があります。使い切れないほどの大金持ちであれば、そう感じないのかもしれませんが、世の大多数の人は制約の中で生きています。
「体力」については見通しがちです。時間とお金の貴重さについては良く見聞きしてきましたが、そららと並列して「体力」を挙げるとは、さすが楠木建さんです。これも制約の1つです。若いうちはあまり気にならないかもしれませんが、歳を重ねるとより大きなウエイトを占めてきます。
明日に続けます。