「何をするか」は「何をしないか」 失うものを判断する
こんばんは。
昨日は、楠木建さんの「トレードオフ」のお話から、私がとった最初のメモを振り返りました。
改めて記載します。
「時間や体力やお金などの資源制約がある以上、『何かを得る』、『何かをする』ということは、同時に『何かを手離す』、『何かをしない』と表裏一体。これをトレードオフという。」
これらの資源には制約があります。制約があるという条件下では、「何かをする」=「何かをしない」ということになる。
当然と言えば当然なのですが、このことを意識している人がどれくらいいるのだろう? とふと頭をよぎりました。
「全ての選択はトレードオフである」という事実を認識していない人が多いように思います。
この認識の有無だけでも、とるべき選択に対しての考え方が違ってくるでしょう。
そして、次の言葉。
一歩進んで、(というか、一気に)トレードオフの本質についての考察です。
「トレードオフの本質からして、『何をするのか』よりも『何をしないのか』の判断のほうがよっぽど大切で、タフな意思決定。その時点で何かを失うことになるのだから。」
これはスッーと頭に入ってきました。
「人は得ることよりも失うことに対して恐怖を覚える」
このことを見聞きしたことはありませんか。今では一般的な理論で、科学的に証明されています。
心理学の用語でいう「損失回避性」というものです。
「プロスペクト理論」という用語も有名です。これは「損失を回避できるなら、多少のリスクをとる方向に行動を起こす心理」のこと。
この心理についての詳しい説明はさておき、「失うこと」により痛みを感じる性質のある私たちにとって「何をしないか」つまり「何を失うか」を判断するのはタフな意思決定なのです。
いかに、このタフな意思決定を行うことができるか。
これが最終的に「何をするか」を決めることになる。よりタフで大切な「何をしないか」の決定なしには、実際には「何をするか」は決められないのですから。
私たちは「何をしないか」の判断を避けられないのです。
明日に続けます。
新しい1週間が始まりましたね。
あなたはどんな1日を過ごしましたか?
私はいつも通り4時45分に起床しデイリータスクをこなしました。週末に十分な休養を得て、さらに気分をリフレッシュできたせいか、心身ともに万全の状態で始動できました。
充実した週末がもたらした絶好調の月曜日。その後の弾みをつけるためにも、月曜日をいかに始めるかが大切である、このことを改めて感じました。