「舌先三寸」しかない仕事
こんばんは。本日もこのブログにお立ち寄りいただきありがとうございます!
今日も『好きなようにしてください たった一つの「仕事」の原則』の最終章からの個人メモの話を続けます。
昨日の最後のメモ
「大学教授を選んだのも、このラクさに最大の理由がある」
という文章の後に、楠木建さんはご自身が身を置くビジネススクールについてのお話を続けていきます。
氏によると、ビジネスの世界で成功をおさめた後に最後のキャリアとして大学教授を身を転じたいと考える人が多いとのこと。実際にそのような相談を受けることが多い、と。
相談者の話を聞いていると「ビジネスの世界で精力的に活動するのは年齢的にきついけど、大学教授はラクそうだから」という本音が透けて見えることがあるといいます。
この相談者の考えは分からなくもありません。あなたはどう感じますか?
世間一般で「大学教授」といえば高いステータスとみられているのではないでしょうか。同時に、ビジネスの世界で戦っている人からすれば「ラクな仕事だ」という印象があるかもしれません。
ビジネスの世界で修羅場をくぐってきた(と思っている)人からすれば「実際にビジネスをしたことのない評論家」に「机上の空論」を言われたくない、という感情と、「現場のほうが数倍も大変だ」という意識から、そういう印象を抱くのだと思います。
学問と現場、もしくは、理論と実践。両者の間には、こういった意識の隔たりはありますよね。
楠木建さんはそのような相談者に対して
「この仕事はラクそうに見えると思うが」
と話した後、
「実際にラクなんです」
と落とす。
そして
「ただし、この仕事は本当に舌先三寸しかない仕事。これをする覚悟はありますか?」
と続けるといいます。
カッコいいですよね。ご自身の仕事に対してのプライドを感じます。
ただ、私たちは「舌先三寸」をその言葉通り受け入れてはいけません。ご自身の仕事を決して卑下されているわけではありませんよ。
ビジネスの世界では商品や人といった実体があるものが動きます。一方、楠木建さんが提供するのは「考え」という実体のないもの。
「実体のない『考え』というふわふわしたものを売る仕事は、実体があるものしか扱ってこなかった人にとっては決して簡単ではないですよ」
とおっしゃっているのです。
「考え」を「口先だけ」と否定的に見る目はあります。
そのように受け取られる状況においても、「考え」に価値を見出してもらわないと仕事にならない。
こう考えると、大学教授は決してラクな仕事ではありませんね。
あなたはどう感じましたか?
明日に続けます。