「蛇の道は蛇」の正体
こんばんは。今日もお立ち寄りいただきありがとうございます!
昨日の話を続けます。
実体のない、ふわふわとした「考え」を売るのが楠木建さんのお仕事。
「話し言葉にせよ、書き言葉にせよ、相手にとって『わかりやすい』」ことが、この仕事にとって最も肝要なことであると楠木建さんはおっしゃいます。
「そして、この仕事道を歩く道中においては、『わかりやすく、自分の考えが伝わるように』という意識で話したり、書いたりしてきた。毎日呼吸をするように作業を繰り返してきた。これが『蛇の道は蛇』だということである」
楠木建さんの文章は、ユーモアにあふれ、面白おかしく書かれている(そのうえで本質を外さない)のが一つの特徴だと思うのですが、この最終章では、ご自身の仕事を熱く語っていたのが印象深いです。私が何度も読み返した理由の一つがここりあります。
この部分を読んだときに「『蛇の道は蛇』は簡単ではないな。どうすれば、楠木建さんのようになれるのだろうか?」と感じました。
これを見透かされたかのように、楠木建さんがおっしゃっていたのが、最初に取ったメモだったのです。
「『蛇の道は蛇』の正体は、結局のところ『そのことを長く続けてやっている』。これに尽きる。」
『蛇の道は蛇』には特別なテクニックなどはない。ただ「長く続けてやっている」に尽きるのだ、と。
この後「ハゲ」ネタで笑いを誘った後に『刑事コロンボ』の話が続いていきます。
いつもながら、抽象的な話の中に、具体的な話をユーモアを交えながら盛り込んで説明されています。この「抽象と具体」の使い方が、楠木建さんの文章が「分かりやすい」理由の一つだと感じます。
『刑事コロンボ』というテレビ映画は若い世代の方はご存じないかもしれませんね。
このドラマは、毎回犯人が殺人を犯すシーンから始まります。熟達の刑事コロンボが犯人を追い詰めていく、そのプロセスを視聴者は楽しみます。
だいたい犯人は高ステータスに属する人。一方のコロンボは一見冴えない感じの中年男。そんな彼は実は凄腕の刑事で、かっこよくて頭のよい犯人を追い詰めていくというのが小気味よいのです。
コロンボは何十年にもわたり、毎日殺人事件を追いかけている。つまり「コロシ」を追いかけている。これが、超優秀な殺人計画をたてて実行した犯人を追い詰めていくことに繋がるのだと。
メモの表題「仕事は『コロシ』」とは「仕事は『蛇の道は蛇』という意味だったのです。
一見すると分かりにくい表題で失礼しました。
明日に続けます。