「起こす」ものと「起きる」もの
こんばんは。本日もこのブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。
世の中には混同しやすいものがありますよね。
私が最近気になったのが「起こすもの」と「起きるもの」の違いについて。
これは「意図的に」と「自然と」とも言い換えられるかもしれません。
このことを考えるに至ったのは次の2つの対象について誤解していたことに気づいたから。
それは「やる気」と「瞑想」です。
あなたは、これらがどちらに該当すると思いますか?
まず「やる気」から見てみましょう。
よく「やる気がわかない」「やる気が起きない」という言い方をしますね。これらの表現からも分かるように「やる気は自分の中からではなくどこかから発生するもの。意図的にではなく自然と生じるもの」という考え方が一般的でしょうか。
でも、やる気は「起きるもの」ではなく「起こすもの」と考えたほうがよい。
そのように思いを改めたのは、上大岡トメさんと池谷雄二さんの共著
『のうだま1 やる気の秘密』(幻冬舎文庫 2016/8/5 )
を読んでから。
2008年に単行本として発売されベストセラーになっていますから、すでに読まれた方もいらっしゃるでしょうね。
私は今月になってようやく手にしました。実際には文庫本ではなく単行本のほうを。
簡潔でそして分かりやすい。本来は難しい内容でありながらスーッと頭に入ってくる。名著ですね。
私の読書メモによると約40分で読み終えています。短時間でありながらも有意義な内容がぎゅっと詰まっている。こういう本に出合えると嬉しくなりますよね。
この著作はタイトルのとおりやる気について書かれています。やる気の仕組み(からくり)と実践的なアクションについて。
日々の生活に活用できる内容ばかりが多く改めて関連する記事を書きたいと思っています。
私はこの本を読んで、「やる気は起こるのではなく、起こすものなのだ」と感じたのです。
以下の言葉は書籍からの抜粋になります。
「『やる気』は迎えに行くもの」
「いつまで待ってたって脳の中から「やる気」は出てきませんよ」
それまでの私はやる気を他人まかせにしている節がありました。
「今日はやる気が起きないな~」「最近やる気が起きないな~」といった言葉に表れているように、やる気の無さを環境のせいにしていたのです。自分のコントロールの及ばない何かの要因によってやる気の有無が決まると。
でも、やる気は自分で起こすことができる。
そのためには「とりあえずカラダを動かすこと」。そうすることで「やる気のスイッチ」が入る、ということが書かれていました。
下記も著書からの抜粋です。
「やる気が出たからこぶしを上げるのではなく、こぶしを上げたから何だかやる気が出る」
まさにその通りだと感じませんか?
明日に続けます。