瞑想を「する」は正しいのか
こんばんは。
昨日は「やる気」についてお話ししました。
やる気は起こるのではなく自ら起こすことができる。希望が湧いてきませんか?
「起こす」と「起きる」を考えるに至ったもう一つの対象。
今日は「瞑想」についてお話していきます。
こちらは「起こす・起きる」の対比よりは「する・起きる」の対比で考えてみますね。その方が分かりやすいですから。
私たちはよく「瞑想をする」という言い方をしますよね。ここからわかるのは、瞑想が自ら取り組む対象として考えらえているということ。「自分の意志でする」ものとして捉えられているということです。
瞑想は「する」ものだということを疑ったことはありませんでした。あなたはいかがですか?
その考えを覆されたのが、田坂広志さんの書籍『直観を磨く 深く考える七つの技法』(2020/2/13 講談社現代新書)を読んだとき。
この書籍の中で、「第六の身体的技法」として「瞑想が自然に起こるのを待つ」ことについての言及があります。
私がとったメモにはこう書かれています。
「瞑想の状態」や「禅定の境地」は、自然に「起こる」もの。自然に「降りてくる」もの。
田坂広志さんは『運気を磨く 心を浄化する三つの技法』(2019/10/16 光文社新書)でも「瞑想」について言及されていました。
私がとったメモにはこう書かれています。
瞑想とは「行う」ものではない。瞑想とは「起こる」ものである。うまくいかないのは、そこに「人為的な意図」があるから。
長きに渡り何度も瞑想に取り組み挫折してきた私は、その理由が分かったような気がしました。自分が起こそうとしてできるものではないのに、無理して起こそうとしているのですから。
自分のダメさ加減を自己弁護しているようで、少し言い訳がましいかもしれませんが…。
田坂広志さんの書籍はほぼすべてを読んでいますが、最近読んだこの2冊は特に強く心に残っています。
氏の「自然が持つ力」についての言及も興味深いです。別途記事にしたいと思っています。
「瞑想」以外にもこういう対象はあるかもしれません。「起こす」のではなく「起きる」というものが。
でも、ここで注意しなくてはならないのは、「自然に起こるもの」は自分でコントロールできないから、成り行き任せでいいと考えてしまうということ。
でも、それは言い訳、自己弁護にすぎないのかもしれません。「起きるように働きかける」ことによって「起こす」ことができる。
「起きるように働きかける」 をやるかやらないか、もしくは、これを活用するコツやツールをもっているかいないか。
これが成功や成長に大きくかかわっていると思うのです。