遅咲きの政治家 日本の政治家と言えばこの人物
こんばんは。
一昨日は遅咲きの政治家として、誰もが知る偉人エイブラハム・リンカーンについてお伝えしました。
エイブラハム・リンカーンは少し遠い存在のような気がしますか? 私もそう感じてしまうことは否めません。時間だけでなく距離が遠いのもそう思わせるかもしれません。アメリカの偉大な人物であることは確か。でももはや伝説の人物のような気がしてしまいます。
もっと近い存在の政治家をお伝えしましょう。近いといってももう70年以上前の第二次世界大戦前後の人物ではありますが。
遅咲きの政治家として、この2人は外せない存在です。
その1人は日本の政治家。
はい、吉田茂です。
GHQの支配下に合った当時の日本の独立を回復し、現在の日本の基礎を気づいた政治家として誰もが知る存在。
日本を復興させるために吉田茂」が勧めた「軽武装・経済優先」主義が、その後の日本政治の基盤となりました。
「ワンマン宰相」「和製チャーチル」と呼ばれたことも有名ですよね。
彼については多くの書籍が出版されています。それほどまでに魅力的な人物ということです。
2020年2月に放映されたテレビドラマ『アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~』は記憶に新しいですね。
笑福亭鶴瓶さんの名演も光っていました。
吉田茂を語るのには相当長い時間を要します。彼の人間力については数多の書籍や文献、ドラマで語られていますのでそれらから学んでいただきたいと思います。ここでは「遅咲き」という観点で手短に。
吉田茂は外交官として長い年月を過ごします。
正確にいえば、その生涯のほとんどは外務省の役人として生きてきました。外務次官になったのが51歳。53歳で駐イタリア大使を務めます。その後、外務大臣に就任するチャンスがありながらも実現せず、59歳で駐英大使に。1936年のことでした。
その3年後の1939年には外務省を辞めています。ですが、ここで彼の不遇な時代が終わるわけではなく、それどころか終戦直前の1945年に憲兵隊に逮捕され、投獄されるという始末。終戦の画策に協力したという嫌疑が持たれたのがその理由でした。
同じ1945年、第二次世界大戦が終わった後に初の政界入り。吉田茂という大政治家が政治の表舞台には登場したのは60代後半だったのです。
その翌年に内閣総理大臣に就任。
これは吉田茂にとっては突然舞い込んだ総理の座。当初は日本自由党(今の自民党の前身ですね)の総裁鳩山一郎が総理に就任するとみられていました。しかし、鳩山一郎はGHQから軍国主義者とみなされ公職追放されてしまいます。その総裁に就任したのが吉田茂でした。これは戦時中の投獄がGHQの信用を得た結果と言われています。
本当に人生は何が起こるか分からないものです。吉田茂の人生を見ているとつくづくそう思います。
明日に続けます。