「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

チャーチルの物語がようやく始まった

 

こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。

偉大な政治家チャーチルの話を今日も続けます。

 

49歳で大蔵大臣に就任したチャーチル。紆余曲折を経ながらもこの若さで蔵相を担うことになったチャーチル。ようやく花開いたともいえる彼の政治人生ですが、ここから長い不遇の時代に突入していきます。

 

大蔵大臣として取り組んだ「金本位制度」のしわ寄せを受けた石炭産業がチャーチルに反発。炭鉱夫組合が全国ストライキを断行します。このストに勝利を収めるも、不況の深まりもあり、党内で孤立していくチャーチル。他の省の仕事への口出しや、好戦的な考え方・振る舞いが彼の孤立を深めていきます。

「嫌われ者」としての悪評がついていたチャーチルは、1929年を最後に要職に就くことはなくなりました。55歳の時でした。

 

「もっとも偉大な政治家」として後世に名を遺したチャーチルに「嫌われ者」という悪評がついていた。これは驚きですよね。

後に振り返ったときに、これがストーリーにスパイスを与えたとも言えるのですが。

 

この時期にチャーチルはインドの独立に猛烈な反対の意思を表明。「時代遅れの帝国主義者の戯言」として受け止められ、チャーチルの主張に耳を傾けるものはいませんでした。

 

チャーチルの政治生命はすでに終わったかのように見えた。

50歳の半ばで要職を外された、何の影響力ももたないただの一人の政治家としての存在。古い考えに捉われた過去の人。

この状況を変えたのが第二次世界大戦の勃発。その前をさかのぼるヒトラーの登場です。

 

再軍備を強力に推し進めるヒトラーに対し宥和的な姿勢を示していた英国。

この状況を「平和の危機」と称してドイツの再軍備に反対するチャーチル。しかし誰にも相手にされません。既に彼の影響力はなかったのです。

 

しかしヨーロッパは混迷を深めていきます。

国際連盟から脱退したドイツはヴェルサイユ条約を破棄。英国(そしてフランス)の弱腰な姿勢に助長したヒトラーは本格的に領土拡大を開始します。オーストラリアを併合しチェコ北部のズデーテン地方を要求するヒトラーに対し「今後重要な外交問題は英仏と協議の上解決する」ことを条件にズデーテンの併合を認めてしまう英国。

 

しかしこの約束はドイツに反故にされます。チェコへの本格的な侵攻は英国にとって屈辱的な裏切りでした。1939年のポーランド侵攻に際して、ようやくドイツと戦うことを決めた英国。遅すぎる判断でした。

当時の英国首相のラジオ放送での演説は有名です。

「私の政治生活を通じて求めてきたもの、信じていたもの、すべてが破滅してしまった」

 

ですが、チャーチルの物語はこの時期に始まっていた。ヒトラーが、第二次世界大戦が彼を政治の表舞台に返り咲かせ、もっとも偉大な政治家として後世に名を遺す端緒となったのです。

 

明日に続けます。

 

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