災い転じて福となす?
こんばんは。
一生をかけて書き上げた原稿を消失してしまったカーライル。
彼は自分にこう言い聞かせたと言われています。
「原稿が燃えたくらいで絶望する人間の書いたものは役に立たない」
「お前は愚かな人間だ。お前の書いた『フランス革命史』はそんなに立派な本ではない。一番大事なのはお前がこの不幸に堪えて、もう一度同じ本を書き直すことなのだ。それができれば、お前は本当に偉くなれる。原稿が燃えたくらいで絶望するような人間の書いた『フランス革命史』は出版しても世の中の役に立たない。だからもう一度書き直せ」
彼の奥さんの言葉がカーライルを奮い立たせたという説もありますね。
「このまま書かないですむくらいなら、最初から書く必要がなかったものなのよ」
そして、カーライルはもう一度『フランス革命史』を書き上げるのです。
今も読み継がれる名著『フランス革命史』には、こんなエピソードがありました。
『フランス革命史』を書いたカーライルが素晴らしいのは当然ですが、なによりも「原稿が燃えても、同じものを書き直す」という気概、姿勢に心を打たれませんか?
失敗しても、挫折しても、もう一度頑張る。もう一度チャレンジする。もう一度やりぬく。
このストーリーに救われる機会はこれからも出てくるでしょう。こういう物語を持っているといないとでは、生き方が違ってくるとさえ感じます。
カーライルのエピソードに元気をもらった私。
データを失った翌朝に、自分が一度書いた記事のポイントをリストアップします。
正確には覚えていないとしても、書いた内容は何となくは覚えている。記憶が遠のく前にできる限り思い出した内容を列挙しよう、そして、時間のある次の週末に肉付けし、記事の体裁に整えよう、と決意したのです。
一度失った記事を再び書き上げるのに5時間ほど要したと思います。正確に時間ははかっていませんが。この時間は客観的にみれば無駄な時間。主観的にもそうです。「この時間を使って他に新しい記事をかけたはずなのに…」と何度も思いました。
でも、再び書いた記事は最初の内容よりも密度の濃い内容になっているのも確か。まあ、これは定かではありません、自分が思っているだけですので。そう思いたいという心理が働いているでしょうし。
でも、自分が書き直した内容がよりいいものになったとの充実感を得ることができた。これは嬉しい体験であったとも言えるのです。
これからアップしていく記事のうち、どれが書き直しの記事にあたるのかは話しませんが、あなたの琴線に触れるものになっていれば嬉しい限りです。
それにしても、やはり人生「何が起こるか分からない」ですよね。私のこんな体験を人生の中で語るのはだいぶ大袈裟ですが。