「本からの学びを紙に書く」はアウトプットよりの営み
こんばんは。本日もお立ちよりいただきありがとうございます。
今晩も遅い更新となってしまいましたが、お付き合いいただけるとありがたいです。
お酒の量を削減するために能動的な活動に取り組もう。
試したのは読書、そしてブログの記事を書き溜めること。目的もなく動画を視聴して無為に時間を過ごすよりはよほど生産的な時間です。
でもなかなか集中できない。そして、本来の目的である酒量の削減という観点でも成果を得ることが難しいと感じました。それは手が空いているから。
書籍を片手に、もう一方の手は常に缶ビールに伸びてしまう。
記事のアイデアや内容がまとまらず、なかなかキーボードに打ち込むことができない。代わりに缶酎ハイに手が伸びてしまう。
そこで、最終的に私がとった行動とは?
それは
「本からの学びを紙に書く」
ことでした。
私は書籍から学んだこと、気になる内容をメモとして残すことにしています。その後の生活の中で実践すべく、常に見返せるようにしたい。そういう思いからです。
書籍から感銘を受けたり、大きな気づきを感じることはありますよね。その場では「これを生活に取り入れよう」、「この考え方を参考にしよう」と思っても、忙しい生活の中でいつのまにか忘れてしまう。結局実践できない。こういうことは多くありませんか?
インプットしたことはアウトプットが伴わないと自分のものにはなりません。「良い話を知った」、「学びを得ることができた」というその場限りの自己満足で終わってしまうのです。これはもったいない。
年間を通してかなりの書籍を読んでいますが、中には一冊丸々感銘を受けっぱなし、というものに出会います。それは嬉しい巡り会い。そういう本にであった場合には、メモを取ることは後回しにして、気の赴くままに読み進めます。読書にはリズムが大切、そういう面がありますから。
その本をあとでもう1度読み返す。今度はポイントをメモしながら読み進めます。
このような何度も読み返したい本、かつまだメモを残していないものが何冊か手元にある。
それらに取り組む時間として活用することにしたのです。
厳密に言えばアウトプットとは言えません。でも、通常の読書が単なるインプットなのに比べれば、よりアウトプットに近いインプットと言えるでしょう。書くという行為自体はアウトプットの範疇とも言えますし、後のアウトプットに繋がる行動であるという点からも、アウトプットよりの営みといえるのでは、そう考えています。
明日に続けます。