ネガティブな響きを持つ「エゴ」という言葉 一律に考えるものではない
こんばんは。
田坂広志さんの書籍『人生で起こること すべて良きこと』からの学びを今日もお伝えしていきます。
この書籍で著者が伝えたいことは3文に集約されている。
・人生で起こることすべて良きこと
それを支えるのが
・人生で起こることすべてに深い意味がある
・人生で会う人すべて深い縁がある
そして、「心の技法」について、さらには「エゴ」について触れて、昨日のブログでは筆をおきました。
起こった出来事の「意味」を正しく解釈するためにはエゴと向き合わなければならない、と田坂広志さんはおっしゃいます。
「エゴ」という言葉にはネガティブな響きがありますよね。わがままで自分勝手、そんな意味合いを強く感じませんか。
田坂広志さんが本書でいう「小さなエゴ」がこの一般的な意味合いにあたると思います。
「エゴが小さい」と現在の未熟な自分、欠点のある自分を擁護し「自分は間違えていない!」「自分は変わりたくない!」という叫びが心を支配してしまう。
しかし「エゴが大きい」と「自分にはもっと素晴らしい可能性がある!」「自分はもっと素晴らしい人間へと成長できる!」という思いが勝り、現在の未熟な自分、欠点のある自分を直視しながらも、未来の成長した自分、成熟した自分を目指すことができる。
「小さなエゴ」と「大きなエゴ」。エゴは一律に捉えるべきものではない。
田坂広志さんは「小我」と「大我」という言葉で言い換えてもいます。こちらの方がしっくりと感じる方もいらっしゃるかもしれません。
(余談ですが、単語や表現の言い換えは重要だな~、と認識しました。)
「厄介なエゴ」の動きに処する「こころの技法」はたった一つ。静かに見つめる。ただそれだけ。否定も肯定もせず、批判も賛同もせず、ただ静かに見つめること。そうすると「エゴ」のうごめきが静まっていく。
静かに見つめる。ただそれだけ。技術や方法というと、何か小難しい、手の込んだスキルを想像してしまいがちですが、「ただ静かに見つめる」ことが「こころの技法」である、と。難しいものを敬遠しがちな私にとっては嬉しい言葉。自分でもできそうだ、という安心を感じます。(ただ、「静かに見つめる」というのは決して簡単ではない。そのことは実感もしました…)
この後、昨日の文末に引用した文章が続いています。
我々の人生で起こった出来事の「意味」を正しく解釈し、成長へと結びつけていくためには、自分の「小さなエゴ」を見つめること。その「エゴ」を成長したいという強い意欲を持った「大きなエゴ」へと育てていかなければらない。
エゴを見つめることの重要性を認識いただけましたでしょうか。
さらに「出来事の意味を正しく解釈する」ためのもう一つの技法が示されます。
明日に続けます。