凡庸な新作より秀逸な名作を読み返す
こんばんは。
私がこよなく愛する読書。
ここ数年、年間170冊以上の冊数を読破してきましたが、今年は数を追うのをやめました。
「インプットよりもアウトプットを!」を標榜したという自発的な要因に加えて、コロナ禍という外的要因が味方しました。私の読書生活に潤いを与えてくれる図書館が長期間に渡り閉鎖してしまったからです。
結果的に読書時間が減ることになったわけですが、読書を手放したわけではありません。読書は自身の生活に根づいており欠かせない存在であることに変わりはありません。読みたい本を読む時間は積極的にとりに行く。この姿勢は変わっていません。
図書館から本を得られない状況で私がとった行動は?
それは
「過去に読んだ名作をもう一度読む」
です。
名作というのは、世間でそう認められているものだけでなく、自身がそう認めているものを含みます。むしろ後者に属する書籍を読み返す時間こそ大切にしたい。
幸い我が家には、過去に購入した書籍が何十冊と保管されています。数えたことはありませんが百冊は超えているかもしれません。別の場所にも百冊近くはありますかね。
その中には一度読んで二度と開いていないものから、既に何回も読み返している本もある。
新たに読む本がふんだんにある状況では、再読という行動をいつしか先送りにしてきました。新たな本を読むことに時間をかけすぎて、再読する時間がとれなかったのです。
コロナ禍が与えてくれた「本を借りられない」という環境は、この再読に絶好の機会なのです。
「自分にとって価値のない本を読んでしまう」
これは読書家を自認する人が陥りがちな罠。このことは昨日お話しました。
「再読」はこれとは正反対の行為です。自分に価値があるとすでに分かっている本を読むのですから。
座右の書として何度も読んだ書籍をもう一度読む。自身の血肉により染みこませるために。
難解な書籍をじっくりと読む。以前は理解できなかった内容を改めて考えるために。
私はこの2つを心に刻んだうえで、自分にとっての名作を読む時間を多くとることにしました。幸いにも時間はありましたから、外出自粛という環境のおかげで。
同じ書籍を読んでも、そこから得られるものはいつも同じではない。その時々で変わってきますよね。繰り返し同じ書籍を読んだことがある方であればこれは体験として実感されると思います。
「読書」は本と自分との対話。本は変わっていないとしても、自分は変わっている。以前とは異なる自分が、以前は理解できなかった内容を理解する。以前は見つけられなかった真意を、深意を見い出す。以前は思い至らなかった気づきを得る。
名作を再読することのメリットは計り知れません。
「凡庸な新作を求めるより秀逸な名作を読み返す」
懸命に生きる一つの技法と言えるでしょう。
さあ、あなたは何を読み返しますか?