「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

「一日三食」について考えてみる

 

こんばんは。

 

「一日三食は本当に必要なのか?」

人類の長い歴史を見てみると、現代のように有り余るほどの食に囲まれていた時代はありませんでした。もっとも長期間にわたる狩猟採取の時代は、常に飢えとの戦いでした。人類の歴史でごく僅かにすぎない農作の時代になっても、干ばつや水害に悩まされ、食は安定してませんでした。

これほどまでに、安定的に食料を確保できるようになったのは20世紀、もっといえば、ここ50~60年ほどかもしれません。人類の20万年の歴史で初めて、飽食の時代を生きている私たち。長きに渡って受け継がれた遺伝子が、すぐさまこの状況に順応することができないのは当たり前。過食により、「成人病」といわれる病気に悩まされているのは皮肉ですね。

 

このように人類の歴史、遺伝的要素をみても、現代人が「食べすぎ」なのは明白。

それなのに、なぜ私たちは「一日三食」を食べてしまうのか。それは、それが慣習になっているから。習慣になっているからだと思います。

それも自ら選んだ習慣ではなく、刷り込まれた習慣。巨大な食品会社を潤すためのキャンペーンが、うまく私たちの生活に取り入り、ほんのわずかな期間でそれを日常としてしまった、という説もあります。まあ、その真否はともかくとしても、私たちはその慣習に従って生活をしているわけです。

習慣とは有り難くも恐ろしいもの。そのことの意味を考えずに行ってしまうのですから。

朝起きたときに本当にお腹が空いていますか? それなら朝食を摂るのもよいでしょう。でも、お腹が空いていないのに習慣的に食べている、そう感じたことはありませんか?

 

ありがたいことに、私の母親は欠かさず朝食を準備してくれました。本当に簡単なものでしたが温かいものを準備してくれた。そして、それを食べることを半ば強要してきました。「朝食を摂ることは大切だ」という思いを口にしながらでも、今となって振り返ると、朝食を楽しんだという記憶があまりないのです。特に食べたくないのだけれど、習慣的に食べている。食べないといけないから、仕方なく食べている、ということが多かったように感じる。こう考えると、子供のころから「朝食抜き」の資質があったのかもしれません。

 

育ち盛りのお子さんには朝食は必要かもしれませんね。でも、成人になって、もっと細かく言えば中年を迎えた人たちにとって、一日三食も摂る必要はないのではないか、と思ってしまいます。

 

あなたはどう思われますか?

 

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