わからないときは詳細なデータを集める
こんばんは。
岡田斗司夫さんの名著『いつまでもデブと思うなよ』
昨日の記事では「メモを取ることの大切さ」にふれて、筆を置きました。
メモを取るからこそ、振り返りの時間を持つことができる。振り返るからこそ、気付きが得られる。そこから考えを深めていくことができる。
さらりと書かれていますが、下記の文章は注目に値します。
「わからないときは、詳細なデータを集めるに限る」
あなたは、こういう考え方を持っていますか? こういう発想を持っていますか。
ここで重要なのは「詳細な」という部分。
私たちは、わからないことがあるとネットですぐに何でも調べられる時代に生きています。その場限りの情報、一過性の情報を調べるのはまったく問題はありません。
でも、こと自分自身にかかわること、自分の生活に人生にかかわることでわからないことがある場合には、そうはいきません。
たとえば、何かの悩みを抱えていて、どうすればいいか分からない。その解決策を求めてネットで調べることで、その場を切り抜ける術や、一時的な安らぎを見出すことができるかもしれません。
でも、根本的な解決には至っていない。あなたの悩みや心配の種はあなた独自のもの。ネットで得られる情報は、一般的なもの、または発信者固有の内容であり、あなたの状況とは100%一致はしない。
自分事を解決しようとしたら、自分がしてきたこと、自分が考えてきたことを「詳細に」書き出し、そこから浮かび上がってくる、あなた独自の問題を見つめる必要がある。
この一つの文章から、こんなことを考えるに至りました。ちょっと考えが発展しすぎでしょうかね。
さらに続きます。
・自分の「太った体」も、何らかの行為の結果に違いない。その一番の原因は、自分が食べたもののはずだ。そこで今までつけていた「食べ歩きメモ」を、もっと詳細につけることにした。朝・昼・晩、すべてを記録する。おやつもつける。体重も毎日のように計りはじめた。この「メモをつける」というのがレコーディング・ダイエットの第一段階、「助走」だ。
徹底していますね。
「太った体」の最大の原因は食べたものにある。これはその通り。だからこそ、ダイエットにおいて「食事制限」が主要な要素となっている。
でも、自分の食生活をしっかりと認識できているかというと、そうでもない。漠然と「食べ過ぎている」「遅い時間に食事をとっている」とは感じていても、実際に何をいつ食べているから「太る」という結果になったのかまでは把握できていない。把握しようとも思わない。
しっかりとした現状認識、原因の特定がないところに、より最適な解決策を見い出すことはできません。やみくもに、行き当たりばったりの解決方法に走ってしまう要因です。
朝・昼・晩だけでなく、おやつも記録する。食べたものを全部記録する。こうすることで原因を解明する手がかりを手に入れることができる。
「知ってるつもり」ではなく「詳細に知る」は、ここでも有効なのです。
明日に続けます。