「残念」どころか「幸せ」
こんばんは。
『しょせん幸せなんて自己申告』の「目標について」の章からの文章について今日も続けます。
・自由に生きるということは、同時に、自分の人生の責任を我が身に引き受けること。だからこそ誰よりも真剣になるし、得られる喜びも人一倍大きなものになる。その結果、たとえ自分の思い描いた人生とは違ったとしても、その人はすでに新しい独自の道をしっかりと歩み始めている。
・その結果、たとえ自分の思い描いた人生とは違ったとしても、その人はすでに新しい独自の道をしっかりと歩み始めている。
残念ながら、そう簡単にはいかないんですよね。
いま「残念」と書きましたが、実はこれが残念とは限らないんです。
まず、以前の記事ですでに記載したように、「自分の人生の責任を引き受けることで、人一倍大きな喜びを得ることができる」。
これだけで、幸せなんです。「幸せ」に生きることができれば、これ以上望む必要ない。
次に、自分の人生に責任を負うことで、「自己決定感」が満たされる。この感情で満たされた日々を送ることで、自分が進んでいる道が当初の思いとは違っていたとしても、自分の責任として受け入れらる。
だから、当初とは違う道を悲観的に捉えることがない。
だから、「残念」どころか「満足」なんです。自分の思い描いた人生とは異なっていたとしても、自分が自ら「独自の人生」を歩んでいることに満たされた気分になれるんですね。
何度も言いますが、結局のところ、私たちは「幸せ」を感じられればいいんです。一日一日を、一瞬一瞬を幸福感とともに生きられるかどうか。これが一番大切なんです。
自分が決めた道、ゴールを達成できるかどうかは二の次。望んだ結果を得られるに越したことはありませんが、それよりも過程が重要。過程において、どれだけ「幸せ」でいられるかのほうがよほど重要なんです。
そもそも、思い描いていた道が自分にとって正しいものかなんて分からないんです。それはその時の思い付きかもしれないし、それまでの思い込みから生じた、本当は自分にふさわしくない執着かもしれません。
それに固執して達成できなかったからといって、悲観する必要はないですよね。そもそもその道や目的が自分に合っているかどうかなんて分からないのですから。
「自己決定感」は「幸せ」を感じさせてくれる大きな要素。
「自分で決める」のは、実際的にストレス軽減にもなりますし、より「幸せ」な精神状態に導いてくれる。
自分の人生に責任を持つ。
このピースがないと、「幸せ」に過ごすのは難しくなる。
あなたはどう感じますか?