遺伝と環境 どちらが影響力を持っているか
こんばんは。
綾小路きみまろさんの『しょせん人生なんて自己申告』。
今日は「人格について」の章から、こちらの文章をお伝えします。
・個性は、自分だけでは生まれない。人とかかわる中で、引っ張り出されます。
人の個性は人格の一部と言えますね。
個性とは個人の性格、性質、性癖。その人に固有のもの。個性とは生まれ持ってのもの、と考えてしまいがちですが、後天的に身につける部分も多い。先天的なものと掛け合わさって、その人独自のものとして作り上げられていく。それが「個性」と呼ばれるもの。
先天的と後天的。言葉を換えると、遺伝と環境。私たちはこの2つの要素によって一個人として形作られていきます。
でも、遺伝による影響のほうが絶大である、ということが近年になって言われます。
橘玲さんの著書
『言ってはいけない残酷すぎる真実』
『もっと言ってはいけない』
を読んだことはありますでしょうか?
この著作では、遺伝と努力の力関係だけでなく、私たちが「そうあってほしくない」という現実が書かれています。
私たちが何となくは気づいていた、もしくは明らかにそうだと感じていたけれど、社会の中で認めがたいもの、声高に言えないような真実が書かれています。
例えば、知能に関しては遺伝8割、環境2割で決まる。「外交的/内向的」のような性格の遺伝率は5割、とか。
学力、年収、老後の生活まで遺伝が影響する、とか。
「美貌格差」の現実や、子育てや教育と子供の成長との関係、人種と知能の関係についても。
認めたくないような「不愉快な現実」のオンパレードです。
未読の方はぜひ読んでいただきたいと思います。「知りたくなかった!」と思うかもしれませんが、もしこれらが本当に真実であるのならば、知っておくに越したことはありません。その上で、打ち手を考えた方がよほど生産的かもしれません。
逆に「知って良かった」と思うかもしれません。例えば、子育てに悩む方にとっては、自己嫌悪から解き放たれるかもしれません。
刺激が強いのは確かですが、読んでおいたほうが良いでしょう。
先天的な要素に抗えないことは認めるとしても、後天的に何とか挽回できる。そう思いたいところですが、実際には難しい面がある。さらに、後天的といっても、幼少の頃の環境の影響が大きい。大人になってまったく異なる自分になろうと思っても、どうにもならない部分がある。そんな側面は認めざるを得ないんですかね。少し悲しくなりますが。
すみません、本題から少し話がそれてしまいました。
明日はきみまろさんの文章に戻りますね。