「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

日本と比較してヨーロッパはどうなのか?

 

こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。

 

昨日は、日本の社会、特に日本の会社は「嫉妬」を生みやすい環境であること、さらにヨーロッパとの比較について私見をお話ししました。

なぜ、ヨーロッパとの比較なのかというと、私自身がヨーロッパに身を置いた期間がそれなりに長いから。とはいえ、限られた時間の、限られた個人の感覚ですが。

 

ヨーロッパは日本よりも階級社会である。仕事という側面で考えると、学歴によってポジションが自ずと決まってくる。どんなに優秀だとしても、組織の中で登れる階層は決まっている。そう感じました。昨日お話した通りです。そう感じた具体例をお話ししましょう。

 

フランスのとある工場での話。ある大手メーカーの一つの生産工場で、従業員は100人ほどの規模。その工場の実質の責任者である人物は本当に優秀でした。

そう感じていたのは私だけではありません。「この人は優秀だ」という評判は何度も聞きました。

「この人はどんどん出世していくんだろうな~」と思っていたのですが、「彼のポジションがそこからあがることがない」という現実を知ることに。

 

「彼は優秀だが、学歴でいうと、もう上には行けないんだよ」

こう話してくれたのは、彼をよく知る日本人の方でした。

日本の企業でも学歴による制限はありますが、優秀であればその限りではない。そういう感覚を持っていたのですが、フランスでは事情が違った。

 

その会社のマネージメントレベルは、グランド・ゼコールを卒業したエリートが中心。その工場の彼とは最初から違う階層にいる人たち。会社に入った時点で、自分がある階層に固定化されてしまう、というのが実態のようでした。

これはフランス社会・企業の全般にあてはまるかどうかはわかりません。あくまで私が経験した一事例に過ぎませんので。

 

その工場の彼とは定期的に会う機会があったのですが、自身の待遇に不満を示すようなことは一度もありませんでした。

彼から感じたのは「あきらめ」というよりは「そういうものだ」との受け入れ。不満は微塵も感じられず自然とそう思っているように感じた。

最初から「そういうもの」になっていれば、不満や疑問も生じないのかもしれない、と思ったんです。

 

日本もかつては階層社会でした(今もその階層はひそかに残っていますが)。

江戸時代の士農工商は分かりやすいですね。生まれた時点で、どこに属するかは決まっている。農民の家族に生まれた子が、出世をして武士を目指す、という流れはなかった。その階層で一生を過ごす。それが当たり前で疑問を持つことがなかったのかもしれません。

これは「機会の平等」という点では不公平にも感じられます。でも、「むやみに他人と比較しない」ということから生まれる「平穏な心持ち」を考えれば、「幸せに生きる」という観点では、より好ましいように感じます。

 

そもそも「機会の平等」という考え方がなければ、「他人との比較」という考え方もなかった。そう考えると、近現代の日本は「嫉妬を生じやすい」環境にあったのではないか、と感じます。

 

あなたはどう感じますか?

 

 

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