「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

イラっとせず、ニコッとする

 

こんばんは。

楠木建さんのいう「大人」について。

一方の大人は、「基本的に世の中のすべては自分の思い通りにならない」という前提を持っているものです。

これだけ多くの人間が、それぞれ違う好みとか目的を持って、利害のある中で生きている。世の中で自分の思い通りになることなど、ほとんどありません。

昨日は、この二つの文章から、私個人の考えについて話を進めました。

 

続く文章がこちら。

そういう前提で生きていれば、思い通りにならなくてもいちいちイラっとすることもない。むしろ、たまに思い通りになることがあると、わりと嬉しくて思わず「ニコッとする」。大人はイラっとせず、ニコッとするものです。

この文章で使われている表現もいいですね~。楠木建さんは、鋭く断定的な主張の中にも、こうやって洒落っ気のある表現を織り込むのがお上手です。こういう文章を書きたいな~、と改めて思いました。

 

「基本的に世の中のすべては自分の思い通りにならない」という前提で生きていることで生き易くなる。

これは先日ご紹介した新刊『絶対的悲観主義』の主題の一つとして披露されている主張でもあります。

そうなんです、こういう前提で生きていれば、日常の生活が本当に楽になるんです。

「自分の思い通りにする」ことに血眼になって、もしくは「自分の思い通りにならない」ことにヤキモキして、不安を抱えて過ごす。これだけでも精神的なダメージは大きいのに、結果として「自分の思い通りにならない」ことに動揺し、衝撃を受けて心を痛める。そんな日常を送っていれば、精神的な疲れが蓄積していくのは当たり前ですよね。

 

「基本的に世の中のすべては自分の思い通りにならない」という前提でいれば、思い通りにいかないことがフツーの状態なので、そうなっても「イラっとする」ことはありません。

そういうものなんだ、やはりそうなったか、と平穏な心が保たれたままでいられる。

 

それだけではありません。オマケもついてくるんです。オマケというのは、そもそもなにか嬉しい存在なのですが、この前提で生きることのオマケは、その嬉しさの度合いが高い。なので、思わず「ニコッと」してしまう。

想定外、言い方を変えると、サプライズ。これがいいんです。

何か得たいものがあったとして「それを得て当然」と考えて手にするのと、「それは得られないから期待しない」と考えて手にするのとでは、喜びの度合いが180度異なります。前者にはたいした嬉しさはない。あるとすれば安心、安堵でしょう。それに対して後者は思わず「ニコッとする」嬉しさが伴う。後者の前提で生きることで、日々の生活が楽しくなる。そう思いませんか?

 

 

 

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