「行動と見識」KOUSHIのブログ

行動と見識で人生を豊かにする

「たまに朝食を食べる」がもたらしてくれる幸福

 

こんばんは。

 

昨日の記事では、「朝食は本当に必要なのか?」という問いから、「朝食抜き」を試すことをお勧めしました。

試してみて、その上で判断する。これは「惰性に流されずに自分で判断する」という姿勢を強化することにもつながります。

試しに「朝食抜き」をやってみていただきたい、そう思っています。(決して無理をなさらないでいただきたいです。)

 

またまた話が脱線してしまいました。

 

「朝食抜きの1日2食習慣」を長きに渡り実践している私ですが、

「1年365日朝食を摂らないのですか?」

と問われれば、答えは「No」です。

 

自宅で朝食を摂ることはありませんが、外で食べることはあります。出張先や旅先、または、実家、親戚や知人宅で朝を迎えるような時には朝食を摂ります。

正確にいえば、これら「稀な朝食」は「朝食を食べる」という単なる行為ではなく「朝食を思いっきり楽しむ」という嬉しさに満たされた感情を得る機会、ということになります。

 

「たまに習慣と異なる行いをすることで、その行いをより面白く感じる」

「たまに習慣と異なる行いをすることで、習慣と習慣から外れた行動の双方についてありがたみを感じる」

 

出先で朝食を摂ると、この2つを実感するのですよね~。

 

例えば、ご飯に納豆をかけて食べる。これだけでも本当に幸せです。「納豆ご飯はやっぱりうまいな~」と心の底から感じる。

ふだん朝食を摂らないからこそ得られる感覚かもしれません。もし、毎日惰性で朝食を摂っていたなら、こんな感覚を覚えないでしょう。いつものことなのですから。

「朝からこんなにうまいものを食べられて幸せだな~」という贅沢な気持ち、満たされた気持ち。

 

ホテルで豪華な朝食を摂れる機会があったら、絶対に見逃しませんw 朝から高価な料理を腹いっぱい食べられる幸福感は、なかなか体験できませんからねw

そして、格安旅でのローカルの朝食はいいですよね。その土地の料理を朝から食すことの幸せ。

私にとって、ハノイのフォーはその筆頭格。冬のハノイで、温かいフォーを朝早くから食す。地元の人に交じって夢中でフォーを口に運ぶ。揚げパンをほおばる。幸福感に包まれました! 早く再びハノイに行きたいですね~。

 

「食べる」ことの素晴らしさを実感する。忘れていた感謝を思い出す。「たまに朝食を摂る」がもたらしてくれるこの効果は見逃せません。毎日朝食を摂っていたら、なかなか味わえない感覚です。

 

でも副作用もある。

朝食を摂ると、体が重くなってしまうのを感じるのです。下手をすると疲れてしまう。食事というのはエネルギーを摂取する営みでありながら、同時にエネルギーを消費する活動でもあります。エネルギーをそれなにに使うのです、食べることは。

この気怠い感じが、その後の活動に影響を及ぼすこともあるのですよね~。昼間から酒を飲んだときの感覚に似ているかもしれません。その時は楽しくて嬉しくても、その後の時間を無駄にしてしまう可能性がありますね。

 

「たまに朝食をとる」

この贅沢な営みを今後も不定期に続けていきたいと思っています。

 

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実際に試す そのうえで判断する

 

こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。

 

長きに渡り続けている「朝食抜きの1日2食習慣」。

このことから派生して「一日三食は本当に必要なのか?」という問いについて考えてみました。

このテーマに限らず、世の中の多くの事象には賛否両論があります。

分かりやすく「これは良くない」といえるものは少ない。そういうものを考えた場合に、例えば、タバコが健康に与える影響は「これは良くない」と言えるでしょうか。これを「悪い」ということを否定できる人はいないでしょう。

 

「朝食」についても賛否両論があります。

「朝にエネルギーをしっかり摂ることで、一日を精力的に活動する準備を整える」というのは響きが良いですよね。何となく説得力もある。これが、朝食推奨派の基本思想でしょうか。

最近気になるのが「血糖値との関係」。血糖値は多くの病気・疾患と密接に絡んでおり、急上昇と急降下は健康に悪影響を与える。朝食を摂らないと、昼食を食べたときに血糖値が上昇する傾向がある、といった説です。

「朝食抜き」派の私ですが、この記事は気になってしまいましたw 別に「朝食抜き」に固執しているわけではなく「健康である」ことが最優先ですから。

 

私の場合は理論からではなく実践から「朝食抜き」を選択するに至りました。

一人で暮らし始めてから、それまでの長きに渡る習慣であった「朝食」を手放した。積極的に手放したのではなく、結果的にそうなった、というのが実態だったとしても、その試行から「朝食抜き」という新しい習慣を身に付けたのです。

「朝食を食べなくても全く問題ない」

「むしろ朝食を摂ると調子が悪い」

このことを実感したからこそ、この生活を続けている。「自分に合っている」と感じているからこそ、いつまでも続けることができる。まあ、習慣になっているので続けているという感覚もありませんが。

 

これは個人の好き嫌いや相性の範疇にも入ってくるように感じます。

もし、あなたが、これまで何も疑うこともなく盲目的に朝食を摂ってきたらならば、一度「朝食抜き」を試してみることをお勧めします。

実際に試してみて、そのうえで判断する。これが重要なのです。

 

試してみないと分かりませんからね。私のように「朝食を食べなくても問題ない」「むしろ健康的に感じる」と思う方もいれば、「やはり朝食は大切だな」と自分の習慣を自分で再認識し、より意義のあるものにできるかもしれません。

 

「惰性に流されずに、自分で判断する。」

「朝食抜き」の試みは、この軸に基づいて生きる、一つの試みでもありますよ。

 

明日に続けます。

 

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「一日三食」について考えてみる

 

こんばんは。

 

「一日三食は本当に必要なのか?」

人類の長い歴史を見てみると、現代のように有り余るほどの食に囲まれていた時代はありませんでした。もっとも長期間にわたる狩猟採取の時代は、常に飢えとの戦いでした。人類の歴史でごく僅かにすぎない農作の時代になっても、干ばつや水害に悩まされ、食は安定してませんでした。

これほどまでに、安定的に食料を確保できるようになったのは20世紀、もっといえば、ここ50~60年ほどかもしれません。人類の20万年の歴史で初めて、飽食の時代を生きている私たち。長きに渡って受け継がれた遺伝子が、すぐさまこの状況に順応することができないのは当たり前。過食により、「成人病」といわれる病気に悩まされているのは皮肉ですね。

 

このように人類の歴史、遺伝的要素をみても、現代人が「食べすぎ」なのは明白。

それなのに、なぜ私たちは「一日三食」を食べてしまうのか。それは、それが慣習になっているから。習慣になっているからだと思います。

それも自ら選んだ習慣ではなく、刷り込まれた習慣。巨大な食品会社を潤すためのキャンペーンが、うまく私たちの生活に取り入り、ほんのわずかな期間でそれを日常としてしまった、という説もあります。まあ、その真否はともかくとしても、私たちはその慣習に従って生活をしているわけです。

習慣とは有り難くも恐ろしいもの。そのことの意味を考えずに行ってしまうのですから。

朝起きたときに本当にお腹が空いていますか? それなら朝食を摂るのもよいでしょう。でも、お腹が空いていないのに習慣的に食べている、そう感じたことはありませんか?

 

ありがたいことに、私の母親は欠かさず朝食を準備してくれました。本当に簡単なものでしたが温かいものを準備してくれた。そして、それを食べることを半ば強要してきました。「朝食を摂ることは大切だ」という思いを口にしながらでも、今となって振り返ると、朝食を楽しんだという記憶があまりないのです。特に食べたくないのだけれど、習慣的に食べている。食べないといけないから、仕方なく食べている、ということが多かったように感じる。こう考えると、子供のころから「朝食抜き」の資質があったのかもしれません。

 

育ち盛りのお子さんには朝食は必要かもしれませんね。でも、成人になって、もっと細かく言えば中年を迎えた人たちにとって、一日三食も摂る必要はないのではないか、と思ってしまいます。

 

あなたはどう思われますか?

 

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あなたは朝食を食べていますか?

 

こんばんは。

 

「たまに習慣と異なる行いをすることで、その行いをより面白く感じる」

「たまに習慣と異なる行いをすることで、習慣と習慣から外れた行動の双方についてありがたみを感じる」

 

今日は、2番目のマイ習慣についてお伝えしていきます。

②朝食抜きの1日2食習慣

 

朝食を食べない。これが習慣になって何年経ったでしょうか? いつ始まったのかも覚えていませんが、おそらく自立して一人で暮らすようになってからだと思います。ありがたいことに、両親と一緒に過ごしていた時には、いつも朝食が準備されていたはずだからです。となると、もうウン十年と続けていることになります。

 

一人で暮らすようになると、当然ながら自分で食事を準備することになります。でも、面倒くさがり屋の私が料理などするはずもありませんでした。ましてや、朝起きて料理をすることなど考えられない。それよりは、1分でも多く寝ていたい。食欲よりも睡眠欲が勝っていた時に、一人暮らしを始めた必然として「朝食抜き」がスタート。それがいつしか習慣化したのだと思います。

 

当時は仕事が忙しかったこともあり、帰宅するのは遅い時間。その時間から酒を飲み、つまみを食べる。カップラーメンや弁当を食べ終えてすぐに布団に潜り込むという生活。

朝起きて「お腹が空いている」という状態ではなかったし、そんな感覚を感じた記憶もありません。ですので「朝食抜き」を始めて継続することに、それほどの困難を感じたこともなかったと思います。

 

世間一般では「朝食をしっかり摂る」「一日三食をしっかり摂る」ことがスタンダードですかね。厚生省も推奨していますし、雑誌や書籍でも推奨されていることが多いと思います。

 

でも、「朝食は本当に必要なのか?」と思ったことはありませんか?

必要性の前に、そもそも「朝食を食べる」というのは慣習であり、習慣ではないでしょうか?

朝食を摂ることの是非についてはいろいろな意見があります。

私は「朝食不要」派ですので、それを肯定する意見や書籍を肯定的に捉えています。よく言われるのが「一日三食が始まったのは江戸時代後半から。それまでは長きに渡り一日二食が通常であった」という主張です。

 

「人類の長い歴史において」という前置きが使われる文脈は多いですよね。

同じ「食」について言えば、人類は長きに渡り狩猟採取の時代を過ごしてきて、栽培した米や小麦を食すようになったのはごく僅かの期間、とか。人類が野生の猛獣と相対し「戦うか逃げるか」という時代を長く生きてきたため、そんな危険のない現代でも、その遺伝的機能が働く、とか。

 

明日に続けます。

 

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「戦略的朝寝坊」は贅沢な気分になれる

 

こんばんは。

 

「戦略的朝寝坊」はなぜ良いのか?

精神的にも身体的にも得られるポジティブな効果についてお伝えしました。

 

そして、主題との関連。

「たまに習慣と異なる行いをすることで、その行いをより面白く感じる」

「たまに習慣と異なる行いをすることで、習慣と習慣から外れた行動の双方についてありがたみを感じる」

 

たまに朝寝坊をする。(とはいっても「戦略的朝寝坊」であることをお忘れなく。)

このことにより、真っ先に感じるのは「心ゆくまで寝るのは本当にいいな~」ということ。毎日十分な睡眠時間をとろうと心がけてはいるものの、必ずしもそれが達成できるわけではありません。また、仮に適度な睡眠がとれていたとしても「寝不足感」とはなかなか疎遠になることはできない。「もっと寝ていたいのにな~」という思いを抱くことが多いのです。そんな実態を解消し、そんな思いを満たしてくれるのが「心ゆくまで眠る」と決めて実践すること。

私が「戦略的朝寝坊」を活用するのはもっぱら週末の土曜日なのですが、休日初日の解放感に加えて、「今日は良く寝たぞ~」という、ある種の充実感が相まって、何とも言えない心地よさを感じることができるのです。土曜の朝をのんびり過ごすのは贅沢な時間。時間に追われた平日の忙しさからの解放感を味わう。たまに「戦略的朝寝坊」をすることから得られるメリットは大きいですよ。

 

同時に感じるのが「一日の時間が短くなった」ということ。

たとえば7時まで朝寝坊をしたとすると、いつもより2時間以上も活動時間が減ってしまいます。ふだんであれば、この2時間の間に完了させているタスクは山ほどあります。好きな著書の作品を読むこともできていた。この2時間を本当に惜しく感じるのです。

私は「時間の無駄遣い」に敏感な質ですので、日々の生活ではそれらを極力排除したいと思っています。少しでも隙間時間を見つけたら、そこで何かをしたい。何もしない時間をできる限り持たない。そんな私にとって、この「活動できなかった2時間」は本当に痛い。「戦略的朝寝坊」をすることで、時間の大切さ、貴重さを改めて認識し、無駄時間の削減に一層心を向けることができるのです。

「戦略的朝寝坊」を実践した日には、より迅速に、より効率的に活動することが多いです。これ以上貴重な時間を無駄にしたくない、失った2時間を挽回しよう、という思いが生じているからですね。

 

「たまに習慣と異なる行いをする」

 

早起きマスターの方には、ぜひ取り入れていただきたい営みです。

 

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なぜ「戦略的朝寝坊」は良いのか?

 

こんばんは。

私が推奨する「戦略的朝寝坊」。

 

これを取り入れたことが「早起き習慣」の継続に大きく寄与しています。

 

「戦略的朝寝坊」がなぜ好ましいのか?

「朝寝坊をしてしまった!」と「意図的に朝寝坊をする」。

両者では疲れの残り具合が異なるということが、まず挙げられます。

 

朝寝坊をしでかしてしまった場合には、いつもの時間にアラームや目覚まし時計に一度起こされている。それに気づかないほど爆睡していることもあるかもしれませんが、だいたいは一度目が覚めてアラームを止めてまた寝るという行為をしている。つまり眠りが中断されているわけですね。睡眠の中断は、「疲れをとる」という効果にマイナスに働きます、身体だけでなく脳にも。朝寝坊をしてしまった朝は、頭がボーッとしていることが多くないですか? これは眠りの中断が引き起こしていると考えられます。睡眠のリズムを崩してしまうと、余分に寝てもその効果を全て享受できなくなってしまいます。

 

一方で、意図的に起床時間を遅くした場合。アラームに眠りを妨害されることはなく、継続して睡眠の状態を維持することができます。これが「疲れをとる」ことをより効果的にしてくれるのです。まあ、早起きが完全に定着していると定時に目が覚めてしまうことが多いのですが、それでも、負荷なく眠りに戻ることができます。定時に目覚めずに、決めた起床時間まで熟睡できればもっと効果的ですね。

 

より強調したいのが、精神的な側面。

朝寝坊をしでかしてしまうと「罪悪感」に苛まれます。少し大げさかもしれませんが「やってしまった!」という小さな後悔を抱くことになるのです。この小さな「失敗」も自尊心に影響を与えます。「自分はダメな奴」という思いが心に蓄積されてしまいます。

ネガティブな感情とともに一日を始める。これは精神衛生上よくありませんよね。下手をすると、その感情を引きずって一日を過ごすことになってしまいます。

一方で、意図的に起床時間を遅くした場合。自分が決めた判断に従ったのですから、そこに後悔はありません。「疲れをとる」という目的を果たすことができたならば、爽快感や達成感を抱くこともあるでしょう。朝からポジティブな感情に包まれる。この気持ちで一日を始めることで、その後の行動にも弾みがつく。好循環が生じやすいのです。

 

肉体的にも精神的にも良好な結果をもたらす「戦略的朝寝坊」。しでかしてしまった朝寝坊との違いをお分かりいただけましたでしょうか。

 

明日に続けます。

 

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起床時間は戦略的に

 

こんばんは。

 

朝寝坊をしてしまい7時まで寝てしまう。あらかじめ7時まで寝ることを決め、その時間に起きる。同じ7時に起きるという事象でも、両者には大きな差があります。

4時45分に起床しない日もある、とお伝えしましたが、そういう日は必ず後者のケースです。

あらかじめ起床時間を遅くすることを決めて、前夜にアラームをセットする。そして、その時間まで思う存分暖かな布団の中で幸福感に包まれる。

私は、これを「戦略的朝寝坊」と呼んでいます。

 

ちなみに、この「戦略的」という言葉は使い勝手が良いです。朝寝坊に含まれるマイナスのイメージを払拭してくれますw 

自分で使う分にはいいですが、他者が使っている時には注意した方がいいですね。本質から目を逸らすことを意図して使う人もいますからね。

 

早起きとセットで考えなくてはいけないのが「十分な睡眠時間を確保する」ということ。早起きは短時間睡眠を意味するのではありません。質・量ともに十分な睡眠をとったうえで早起きをし、朝時間を活用するのが本旨です。そのためには、毎晩早めに就寝することが必要となります。これを怠りながら早起きをしようと思っても続きません。

 

私たちの生活は毎日が順風とはいきませんから、どうしても遅い時間まで起きている場面も出てきますよね。仕事が猛烈に忙しい時期もあるでしょうし、多くの家事をこなすために夜遅くまで起きていなくてはならないかもしれません。1日だけなら何とか乗り切れても、それが数日続き、数週間続くとなると、確実に疲労が蓄積されていきます。

そういう時には無理をしてでも、「睡眠時間を多めにとる」日を設けてほしい。

 

早起き習慣を続けるにあたり、「早めに就寝する」ことを日々心掛けている私ですが、どうしてもそうはいかない日も出てきます。

帰宅が遅くなり、デイリーのタスクをこなすのもままならない。でも、そのタスクだけは絶対にこなしたい。そうなると、どうしても就寝時間が遅くなります。1日ならなんとかなっても、2日、3日と続くと、すぐに疲れが出てくる。まあ、歳を重ねたことで、疲れやすくなっただけでなく、疲れが日中のパフォーマンスに影響を与えることを肌で感じるようになった、という面もあります。

そんな時には、積極的に「戦略的朝寝坊」を活用するようにしています。

 

結果的に「朝寝坊してしまった!」ではなくて「朝寝坊をすると決める」。

疲れをとるという意味では、両者に大きな差はないと感じられるかもしれません。

それなのに、戦略的朝寝坊」がなぜ好ましいのか?

 

明日に続けます。

 

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