事実を認識したくない、という思い
おはようございます。今日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。
昨日の日中は暑さを感じましたが、夕方になると涼を感じました。すでに夏は終わっていますね。8月も明日で終了ですし、何か寂しい感じがします。
「体重を記録する」記事の中で、自分が体組成計に乗らない日があることについて書きました。
自分の体重が確実に増えていると分かっているときに、その事実を突きつけられるのを避けてしまうのです。
昨日も書いた「数値として記録しなければ、それは事実として残らない。よって太ったという事実はない」という愚かな考えです。
この「事実認識を避ける」ということを、生活の多くの場面で行っていることに気づきました。
皆さんもこのようなことはありませんか?
・熱があるように感じても体温を測らない。
・体調不良を感じても病院に行かない。
人は事実を認識すると、現実とその影響から逃れがたくなります。
上記の例でいえば、私は熱があることを事実として認識すると一気に体調が悪化します(笑)。
認識しなければ「気のせいだ」と思ってやり過ごせても、事実を知ってしまうと、それが現実・実態として重くのし掛かってくるからです。
この意味では、一見「事実を避ける」ことは必ずしも悪いこととは言えないようにも思えます。ネガティブな要素を取り除き、前向きに行動することができるからです。
これは意識的な側面ですが、人は無意識的にも同様の行いをしがちです。私たちは自分が見たい現実しか認識しない傾向があります。自分が見たくないことはなかったことにするのです。
もっと正確に言うと、そもそも私たちは「自分が見たいものしか見ていない」のです。自分がこれまで見てきたもの、これまで感じたもの、考えたものをベースに、何を見るかを決めているのですね。
ですが、「事実を認識しないこと」は致命的な結果をもたらし得ます。
現実を無視するわけですから、改善の方策を自ら放棄してしまうことに他なりません。
上記の例でいうと、体温を測らない・病院に行かないことで、病状を悪化させる可能性が高まり、万全の健康状態に戻ることを遅らせることになります。重い病気に早期に気づく機会を逃してしまうことにもなりかねません。
「事実を認識すること」にもっと重きを置くべきだと感じています、自戒を込めて。
無意識の事実認識回避を防ぐことは難しいかもしれません。しかしながら、「事実認識」の重要性を常に念頭に置くこと、自分が「事実をありのまま見ない傾向があること」を思い返すことで、少しでも良いアクションを選択する回数を増やせるのではないか、と思っています。
意識的な事実認識回避は確実に潰せるようにしたいものです。