ホッピーハイの大失敗で苦境に陥るも復調の兆しが 新たなストーリー展開へ
おはようございます。本日も当ブログにお越しいただきありがとうございます。
今週もあっという間に水曜日になってしまいました。本当に時間が過ぎるのは早いですね。
そして10月もそろそろ終わってしまいます。今月の初めに「今年の残りの1/4を充実にしたものしましょう!と記事に書いたのがつい昨日のように感じます。
恥ずかしながら、私はこの一ヵ月を無為に過ごしてしまったと感じざるを得ません。
昨日の記事でも過ごし触れたのですが、「やってるつもり」で実は何もやっていないということに気づいてしまいました…。
気づいただけマシなのかもしれません。ここからどう軌道修正するかが重要ですね。
前置きが長くなり失礼しました。ようやく本題のホッピーについてお話していきます。
昨日の記事では、ホッピーがもがきながら打った施策が大失敗に終わってしまったことをお伝えしました。
その施策とは「ホッピーハイ」の市場投入のことでしたね。
当時は女性の間でもサワーやチュウハイが人気になっており、その流れに乗るべく開発された、同社の期待商品でした。昨日お伝えしたように、これは大手の酒造メーカーとがっぷり四つの戦いを挑むこととなり、資金規模やマーケティング力で劣るホッピーは、女性を中心とした若者を捉えることができなかったのです。
さらには、従来のホッピー支持層から「これはホッピーではない。ホッピーという名のついた偽物だ」といった批判を受けることにもつながってしまいました。
ちなみに、私は「ホッピーハイ」を口にしたことがありません。どのような味であったのか興味がありますが、残念ながらもう販売していません。
しかし、ここからホッピーに復調の兆しが見えてきます。
やはり困難状況においても懸命な努力をする者を、幸福の女神は見てくれていたのかもしれません。(努力は報われると思いたい個人的な思い込みが含まれています…)
ホッピーは、1990年代から我々の生活の一部となってきたインターネットに救われます。
いや、受動的にではなく、ホッピーが能動的にインターネットに着目しそれを活用した、という言い方の方が正しいですね。この点は後程少し細かくお話ししますね。
1990年代後半には、インターネットという空間の中に、ホッピーの非公式サイトが誕生していました。ホッピーの根強いファンがホッピー愛を示していたのです。その影響から同社にホッピーに関する問い合わせが増えることになります。
ホッピーの潜在的需要が強いと感じた同社は、1999年に自社の公式サイトを立ち上げます。これは、当時としては先進的なコーポーレートサイトであったようです。メディアでも取り上げられ大きな宣伝効果を発揮します。
ワールドビジネスサテライトやタモリ倶楽部でも紹介されたようです。これは大きな効果があったでしょうね。
明日に続けます。