「盲目的に従ってしまいたくなる」のは○○がないから
こんばんは。本日もお立ち寄りいただきありがとうございます。
11月22日の記事で、こう書きました。
もしあなたが自身の生活に「よい習慣」を取り入れたいならば、この本の教えに一字一句従うこともいいでしょう。現在の私は「教えに完全に従う」ことはありませんが(かつては、その傾向がありました。なぜ変わったのか?は別途お話しますね)、この本はそうしてもいい、そう思わせる価値があります。その点でも名著と言えます。
『小さな習慣』についてお伝えしていた時に書いた文章です。
こう書いたように、私はかつて、あることに「完全に従う」傾向がありました。その「あること」は自己啓発系の書籍や、生き方や仕事の仕方についてのメソッドを語る書籍に書かれていること。
今はそれほど読みませんが、若かりし頃には一時期、数多くの自己啓発系の書籍や、仕事や生き方についての教えといった類の本を多く手にしました。
「自分を向上させたい」という前向きな考え方でそんな書籍を手にしていたこともありました。
または「このままではまずい。自分を変えなくては」という切羽詰まった状況において、救いを求めて書籍に手を伸ばしたことも。
さらには「自分が知らない成功法則があるはず。それを知ることで一気に人生を好転させることができる」という一縷の望みを抱いて、書籍を探し求めていたことも。
どちらかというと「このままではやばい」「状況を一気に変えたい」という思いが強かったと思います。その類の書籍と向きあっていた時期は。別の言い方で言えば「藁にもすがる思い」でそんな書籍を手にしていた。
そんな状況においては「あるもの」がありません。
その「あるもの」というのは何か。
それは「余裕」。
そう、余裕がないのです。
余裕がないと、広い視野で物事を見ることができません。「現在の状況を、自分を変えてくれる何か」を求めているような時には、その「何か」に思えるものだけを見てしまう。他の選択肢は眼中にすらありません。その「何か」が教えること、指示することを絶対視して、書かれていることを全て実践しようとしてしまう。その教えに疑いや批判というものを持つことはありません。
余裕がないとこういうことになってしまいがちなのです。
何か宗教みたいだな~と感じた方もいるかもしれませんね。そう同じことです。宗教にもこの性質がありますから。
悪質な宗教は「余裕がない人」を狙ってきますから気を付けた方がいいですね~。若かりし頃の私は、幸いにも宗教にはまることはありませんでしたが、自身である種の宗教にはまろうとしていたのかもしれませんw
また話がそれてしまいました。
明日に続けます。