「聞く」のほうが「○○する」のが難しい
こんばんは。
「英書を聞く」は「英書を読む」より難しい。
昨日はこう書いて筆を置きました。
「読む」よりも「聞く」のほうが簡単なように感じませんか? 音声は勝手に耳に入ってきますから、読むよりは簡単にできそうな気がしますよね。
でも、これが逆に難しいんです。
何が難しいかって?
それは「集中するのが難しい」のです。
本を読もうと思ったら、本と向き合うことが必要になります、当然ながら。本へ視線を向けることになる。これは本に集中するということ。
人が受ける情報のうち、8割は視覚から、と言われています。。それほどまでに視覚の持つ影響力は大きいのです。読書は、意図定期に視線を書籍に向ける取り組みですから、より集中できる営みなんですね。
一方で音声はどうか? 当然ながら、聞くには聴覚を使いますね。聴覚からの情報は11%と言われているんです。
また、メラビアンの法則はご存知でしょうか。コミュニケーションにおいてはは「言語情報7%、聴覚情報38%、視覚情報55%」という割合で影響を与える、というものですね。
これらの事からもわかるように、聴覚と視覚を比較した場合に、聴覚は見劣りするんです。
そして、聴覚と視覚が戦った場合には、視覚が勝つんです。
私たちは集中したい対象に自然と視線を向けます。逆もまた真なりで、視線の先にあるものに集中してしまう、という性質がある。
意図して視線を向けようと思っていなくても、視界に入ったものに意識が持っていかれてしまうのです。そうなると、耳から入る情報を聞いているつもりで、実は頭には入っていない、ということが起こり得る。聞き漏らしていることを自覚していることの方が多いかもしれませんね。私たちは一度にひとつのことにしか集中できないんです。
まだまだ「聞く」ほうが難しい側面はあります。
それは「本当に理解するのが難しい」という点。
音声はどんどん流れていきますよね。自分の理解が追いついていないとしても、そこで止まってくれない。そうこうしているうちに、聞き続けているうちに、理解できたつもりになってしまう。
分からないところが出てきたら、その部分をもう一度聞く、理解できるまで何度も聴く、ということをすればいいのですけれど、上述の「集中が難しい」という悪作用も働いて、それを怠ってしまいがちなんです。本当は理解できていなかった部分があったことも忘れて、何となく理解したつもりになってしまう。
一方で、「読む」ほうは自分がペースメーカー。分からない部分は何度も繰り返し読む、というのがその場ですぐにできるんです。自分が納得するまで、理解するまで時間をかけることができる。書籍の著者の考え・主張をしっかりと咀嚼し、十分に理解しようと思ったら、「読む」ほうがいいんです。
このように、私は基本的に「聞く」よりも「読む」ほうがベターだと考えており、後者に重きを置いています。
でも、これが絶対というわけではありませんよ。
「その書籍と真剣に向き合い、その内容を充分に理解したい」場合には「読む」ことが必須だと考えていますが、そういうケースでなければ、「聞く」を選択しても良いのです。
明日に続けます。